雲となり雨となる 2


秋雨は冷たい水滴となって降り続いていた。
遠くで稲妻が見える。雨を纏った冷たい風が、外の様子を伺うために開け放った戸の隙間から吹き抜けた。

「雨師に風伯。今度は、とうとう雷神までやって来ましたな。今年は、どうやら麗しの秋の竜田姫のご機嫌も斜めのようですね」

湯殿で暖まった三成の身体を冷やさぬようにと、左近はさっと障子を閉める。

「お前は、いちいち嵐をおなごに喩えるのか」
「おや? こう見えても意外と信心深いんですよ。特に姫神にはね」
「ほぉ〜。それは知らなかった。妓楼の妓から女神まで左近の趣味も幅が広いな」

夕餉の後に用意された濃いめの茶に口を付けながら、三成は呆れた様に唇を尖らせる。左近は、寒がりの三成のために用意した火鉢に炭を放り込みながら、片方の眉を上げる。

「そんなに睨まないで下さいよ。まったく……殿も姫神も扱いには気をつけないと……」
「ど、どう云う意味だッ!」

「俺をおなご扱いするのか!」と三成が憤慨すれば、「とんでもない」とニヤリと左近は笑い返す。しかし、プウと子供のように頬を膨らます三成に左近が続けて笑いを呑み込み放った言葉は―――――

「只ね。どちらも嫉妬深いということですよ」

左近が俯く。どうやら笑いを堪えているらしい。

「こ……このぉッ!」

堪えきれずにカラカラと大笑いする左近の顎に、本日、二度目の一撃が入るのであった。





雨は降り続ける―――――

外の様子を見るため再び開けられた障子からは、真っ黒な空しか見えない。そして時折走る稲光。日が完全に落ちた庭では、激しく地面を、瓦を、庭の木々を叩く水音が響く。

「今夜は、一層激しく降りそうだな」

三成の顔は浮かない。

「えぇ」

それに答える左近の表情にも沈んだ雰囲気が滲む。

この分では―――――

「そろそろ、低地の住人に避難命令を出した方が良いだろう」
「そうですな。ですが、収穫のこの時期。田畑を捨てて逃げよと命じて果たして農民たちが従うか……」
「従わねば従わせるだけだ。どちらにしろ、川が氾濫すれば田畑と一緒に農民らまでもが流れてしまう。多少、強制的にでも避難させるしかあるまい」
「では、家中の者に触れを出すよう申し伝えてきましょう」

そう云って左近が立ち上がった時―――――

「殿ッ!! 殿ッ!!!」

廊下を駆ける激しい足音と共に予告もなく障子が勢いよく開けられる。

「どうした。騒々しい」
「申し上げます。犬上川の堤防が決壊致しましたッ!」



恐れていた事態が発生したのだ。



報告を聞くなり、左近が立ち上がる。その顔は戦場に立つ時と同じくらい真剣な面持ちで、口元を引き締め報告に聞き入る。
使いの報告が終わるや否や―――――

「殿。左近が犬上川に参り指揮をします。殿はこちらにいらして下さい」
「なッ!? 左近ッ!! 俺も行くぞ」

そう云った三成に左近は顔を曇らせる。

三成としても、左近や家臣たちを信じていないわけではない。が、城主として自ら動かねばならぬという責任感からの言葉である。自分の手で仕事をこなさねば気が済まぬ。良い意味でも悪い意味でも、これが三成の性格であった。
そのことは、左近も家中の者も十分に理解をしており、許容範囲内であれば誰もが目を瞑っていた。

だが、今、それは許されない―――――

「なりません! 芹川、宇曽川の堤防もいつ何時、決壊してもおかしくない状況。こんな時に、殿がノコノコと現場に出て城を空けてどうします?」
「……ぅ」
「犬上川には、左近が参ります。殿は城にいて指揮をして下さい。決壊の規模については、後ほど小者を遣わします」
「……し、しかし、城主たる者が、安全な場所でのうのうとしている……」
「殿ッ!! いい加減になさりませ!!!」
「ッ!?」

それでも、三成は諦めない。尚も食い下がろうとするが、左近は眉を上げて三成の言葉を遮る。
左近の声はいつになく厳しい。余りの語気の強さに、思わず三成も言葉を返せずにいた。
すると―――――

「怒鳴ったりしてすみません。でもね、部下を信じて待つのも城主の務めですよ」

宥めるように言葉を和らげる。左近は、子供を叱った後の親にも似た、眉を下げ困った風な表情をしている。

「……わかった。すまぬ、左近」

そう小さく答えると、左近の顔にホッと安堵の表情が取って代わる。


     これではまるで、親を困らせる我が儘な子供ではないか……


云われるまでもなく、左近の判断は正しいと思う。だから、己の後先を考えなかった発言が恥ずかしい。
左近の言が正しいと認めつつ、あんな浅慮なことを云ってしまった。きっと、普段の自分ならあんなことを云うはずがない―――――


     なぜだろう?


つと、不思議に思う。
ほんの一瞬、三成の意識は目の前の事柄から逸れる。
それを、常より厳しい口調で諫められたことに悄然としたのだと感じた左近が、三成の細い腰に手を添え引き寄せた。

「殿……」
「左近?」

耳打ちをする低い声が耳朶を打つ。
声を潜めねばならぬことなのかと、不思議に思えば―――――

「今夜は同衾できず誠に残念。次の機会としますかね」
「〜〜〜あ、阿保なことを口走っていないで、とっとと行けッ!!」

腰に回す手を思いっ切り叩いてみれば、左近は愉快そうに声を上げ笑う。
「では、行って参ります」と一声かけ、その大きな背は廊下の向こうに消えて行った。


三成の脳裏を掠めた思いも、同じく雨に流され消えていった。





2006/12/01