雲となり雨となる 10


数日後の佐和山城の一角。
城の奥まった場所にある城主の寝所には、真昼だというのに布団が一組。

「どうやら、本格的に風邪を召されたようですなぁ」

クスクスと笑いを耐えながら、過ぎたるものと評される家老が布団の中の主に薬を運ぶ。
主の看病など本来は筆頭家老の仕事ではないのだが、先日の行方知れずの一件以来、左近の姿が側にいないと不安そうな表情をする三成を見て、石田家家臣一団の下した結論は、「殿が復調するまで筆頭家老が殿の看病をする」という前代未聞のものだった。


     この家の者は、殿に甘すぎる―――――――


やれやれと、胸中で深く溜息を吐くものの、そのことを戒めねばならぬ立場の自分自身が一番三成に甘い。
結果、家臣団の意見に特に反論することなく今に至る。最古参の渡辺新之丞などは、「島殿のせいでこうなったのだから、しっかり看病するようにっ!」ときつく叱責する始末である。



こんなにも家臣たちから甘やかされているのを自覚しているのかしていないのか、その主は布団の中で、熱で紅潮した顔を苦虫を潰したかのように歪めている。

「……うぅ、情けない」
「一晩中、雨に打たれてたんですから仕方ないでしょう」
「左近はピンピンしておるではないか」
「左近は丈夫なんですよ。さぁ、殿、薬ですよ」

そう云って左近は薬の入った湯飲みを三成に差し出す。濃い緑色の薬湯からは、苦みが混じった青臭い臭いがする。その臭いに三成はイヤそうに眉を寄せてプイッとそっぽを向いてしまう。

「それは、俺がひ弱だとでも云いたいのか? それにその薬は苦いから嫌いだ」
「殿………あのですねぇ……」
「怠い。熱い。喉も渇く。……何もかも不快だ」

本当に我が儘な子供のようだ。
熱のせいか、珍しく饒舌な口は先程から左近に「熱い」だの「怠い」だの「暇だ」だのと愚痴ばかり零している。つい先日、自分の腕の中でポロポロと可愛らしく涙を流していた人物と同一とはとても思えない。
しかし、左近が行方知れずの間、蝋のように顔を白くしながら唇を噛み締めて必死に耐えていたという話を聞くと、どうしても怒る気になれない。恐らく、精一杯に我が儘を云うことで、左近が自分の側にいるということを確認したいのであろう。

「まったく。近日中に、大阪城へ登城せねばならぬのに……情けない」
「風邪を治したかったら、我が儘云ってないで左近の云うことを聞き分けて下さいよ」
「そう云えば、本当かどうかは知らぬが……」

恨めしそうに左近を睨む主に苦笑を返せば、思わぬ返事が返って来た。

「早くに風邪を治す方法があるそうだな」
「ほう、それはいかような手で?」
「人に移す」

そう云い切った三成の目は真剣そのもの。冗談で云っている訳ではなさそうだ。

「確かに、そういう方法があるとは聞きますがね。試されるおつもりで?」
「……そうだ」

三成は上目遣いで左近を見やる。その頬が風邪の熱以外の何かで更に赤く染まっていく。

「だ、だから……そ、その薬は……その…そのぅ…………」

益々頬を赤く染めつつも、必死に言葉を探している。何ともぎこちないお強請りに、左近の相好が崩れ、堪らずに先に三成の望みを汲み取ってやる。

「殿は口移しがお望みか?」
「〜〜〜〜〜」

三成は、自分が言葉に出来なかった望みを左近に口にされて、更に赤くなって俯いてしまうが、その頭はコクンと小さく頷く。
左近にとっては願ったり叶ったりのお強請りに、口元が思いっきり緩む。そんな様を主に「左近、顔がいやらしいぞ」と釘を刺されてしまった。



細い肩に腕を回す。

「では……」
「ん…」

苦い薬湯を口に含みそっと三成に口付ける。苦いだけの薬など左近も御免だが、こんなおまけがつくのならば苦かろうが不味かろうが苦にはならない。
薄く開いた口に己の舌を差し込み、薬湯を流し込む。三成の喉が薬を飲み込むのを見届けて、左近は再び薬湯を口に含んだ。



「……ふぅ」

数度の口付け。甘い薬はすっかり三成の身体から力を抜いてしまったようだ。完全に左近に身体を預け、小さな頭をその広い胸に埋めている。
膝に乗せた痩身を壊れ物を愛でるかの様に優しくさすってやれば、甘えるように白い頬を埋めていた胸に擦り寄せてくる。

「これで満足されましたか?」

出来ればこれで満足して眠って欲しい。
でなければ、そろそろ自分の理性に自信が持てなくなりそうだった。余裕の笑みの裏側で、口付ける度に高鳴る心臓を沈めるのに分別の大半を動員している。
だが、主の口から零れ出るのは――――

「まだだ」
「…………左近としては、殿に無理をさせるのは本意ではないのですけど」
「黙れッ! まだ、あの香が匂うぞッ!! だ、だから……」

そんな訳はない。あれから日にちが経っている上、あの香り袋は、流石に捨てるのはなんだか怖いので文箱の奥に締まって一度も触れていない。

「だから?」
「お……俺が…俺が……」

上目遣いで睨みつける目元の朱が濃くなり、怒ったように困ったように眉間に皺が寄せられる。

きっと「消してやるからな」と続けたいのだ。
だから、これは三成なりの――――


     一体、どこで覚えたんです? その遊女も真っ青の誘い文句?


左近は胸中で天を仰ぎ、白旗を揚げる。

「殿には敵いませんね」

眉間に軽く皺を寄せ両の手を挙げて降参を示すが、緩む微苦笑はどうしようもない。どうやってこの不器用で可愛らしく、それでいて淫らなお願いを拒めと云うのだ。
三成は、余程に恥ずかしいのか染め上げた口元を少し曲げて、こちらを睨みつけてくる。自分から誘っておいて、艶笑のひとつもない。だが、自分にだけ見せてくれるその強気でいて稚気に満ちた一挙一動が自分を絡め取り、身体の奥で燻る熱を誘う。


左近は膝に抱えていた痩躯を褥に横たえると、体重をかけぬように気を配りながら三成の上に身を置く。
太陽はまだ中天にあり日差しは明るい。障子越しに差し込む光は、柔らかさを加えて室内を照らす。上気する頬の色も潤みを増す琥珀の瞳もすべてがその光によってさらけ出される。

「お辛かったら云ってください。それと……」

囁く自分の声に抑え切れない欲が篭もるのを感じる。三成も左近の声に潜む欲を感じ取り、頬が一層赤みを増す。

「左近が致します。殿は、ただ左近を感じて下さればよい」

了承の代わりに小さく吐き出される吐息。三成の細い手が左近の袖をキュッと握る。
それを合図に、左近は三成の纏う白い寝間着の帯をハラリと解いた。





2007/01/12