夏幻 − 中編 −
兼続の運転する四輪駆動車で訪れたのは、石畳も門の構えも歴史と由緒を漂わせる立派な寺だった。
気軽に夜半の無断侵入に訪れていいような雰囲気は微塵もない。だが、兼続は勝って知ったるといった風情で、俗世を阻むように閉じた重厚な門の横にある小さな木戸を開けると、さっさと門内に入っていく。幸村もなんの躊躇もなくその後に続いた。
「ここ…か?」
「随分と立派なお寺ですね……」
「肝試し」という単語から、寂れた廃屋や墓場に連れて行かれるものだとばかり思っていただけに、予想外の重厚さに三成と左近は、兼続たちの後に続くのをためらうようにお互いの顔を見合わせる。
すると、先に門を潜った兼続がひょっこりと門先に顔を出した。
「どうした。三成。島殿。早く入って来ないか」
「兼続。いいのか。こんな立派なお寺に無断で入ったりして……。いや、まあ、例え小さな寺であっても断りも無しに入っていくのは……」
「気にするな、三成。ここのご住職とは昔からの知り合いだ。無断で入ってもなんの問題もない。さあ、早く入って来い」
「まあ、兼続がそう云うのなら……」
一片の曇りのない笑顔でそういわれて、漸く三成も門を潜る決意をする。
毎度のことながら、迷いもない笑顔できっぱりと断言をする姿には、一種の胡散臭さと共になぜか諾と肯かせる強さがある。
彼ならば、きっとどんな商品でも売りつけられるセールスマンにも、やり手の営業マンにもなれるだろう。ただ、その才能が、妖しい方向に向かわなければいいのだがと、妙な心配事を胸に秘めて、左近は改めて闇夜に浮かぶ寺の門を見上げたのだった。
時刻は、もうじき午前0時。
日付は、お盆。
場所は、静かな寺の境内。
当に肝試しに相応しい舞台と相成った。
寺門を潜ったその先には、広大な境内。本堂らしき建物や回廊の灯はとうに落ち、境内には静けさが横たわっていた。月明かりにぼうっと浮かぶ静謐な空間を横目に左近は兼続に尋ねた。
「で、初級編の肝試しにこの寺ですか?」
「そうだ。別段、有名な怪談話がある訳でもないし、幽霊の足跡だの着物だのといった品物がある訳ではないのだが……ひとつ面白いものがあってな」
懐中電灯の明かりをひとつを頼りに迷いのない足取りで先導を務める兼続が快活な口を開く。
「ゆ、幽霊はいないのか?」
「ええ、そう云う話は聞かないですね」
「そうか」
「あはは、少しは安心されましたか、三成殿?」
「べ、別に幽霊が怖い訳じゃない!」
「怖くはない」と意地を張って見せていたが、「幽霊はない」という幸村の言葉に青ざめていた白い頬に少し色が戻る。だが、しっかと左近の手を繋いで放さない辺り、肝試しが「恋人の夏の定番デート」という触れ込みを三成は気に入ったようだ。
左近の頬が、掌に伝わる恋人の温もりに緩む。
「はいはい。で、直江さん、それで?」
「じつは、この寺には地下に面白い仕掛けがあってな」
「地下?」
「そうだ。三成、『戒壇巡り』や『胎内巡り』というのを知っているか?」
「いや、知らない」
聞き慣れない単語に三成が首を振ると、兼続は更に口を滑らかに滑らせた。
「簡単に云えば、『擬死体験』だ。有名なところで云えば、善光寺や清水寺にもある。一度、死んで生まれ変わるという意味合いらしい。昔から密教や修験道などで行われている修行のひとつだ」
「その修行の場が、この寺の地下にあるのですよ」
「へえ、それってどんな修行なんです」
「ふふ。まあ、見てみればわかるさ」
そう云って向かった先は境内の中央の本堂。
到着するなり、兼続は本堂へと上がる。辿り着いた本堂の戸はすべて閉まっていたが、兼続は構わずに閉まっていた雨戸に手をかけると、灯りのない本堂へ入り込んでしまった。
「おい、兼続。それは不法侵入というものではないのか?」
「はははは、バカを云うな、三成」
兼続は笑いながら二人を手招くと、
「不法侵入とは、敷地内に無断で侵入した時点でいうのだ。ということは、既に不法侵入済み。今更であろう」
「笑うところかぁ!?」
「まあ、そう怒鳴るな。さっきも云ったが、ここはわたしの知り合いの寺だ。故にわたしの実家に立ち寄ったと思えばいい。遠慮は無用だ」
「さあ、三成殿。お早く」
兼続に続いた幸村が、堂内に月明かりを入れようと更に戸を開け放つ。
兼続の云う通り、ここまで来たのだ。今更、取り繕って引き返すのもばかばかしい。三成は一歩進んで階に足をかけると、横に並ぶ左近に琥珀の視線を寄越す。
「……すまぬ、左近。妙なことに巻き込んだ」
「ま、仕方ないですな。最後までお付き合いしますよ」
うっすらと白い月明かりが照らす広い本堂。
その薄明かりの中、金色の本尊が三成たちを静かに見つめていた。謐々とした空気と板敷きの床の冷たさが心地いい。不思議とここには、真夏のねっとりした空気が入り込めないようだ。
別段、霊感とやらに深い興味がある訳ではないが、そういったものの実在を感じるような気がする。
キョロキョロと珍しげに堂内に見回す三成の肩を兼続が軽く叩く。
「ほら、ここだ」
朗らかな笑みを浮かべた兼続が指差したその先には、その笑顔と反する黄泉の入り口の如き穴蔵があった。そして、穴蔵へと続く下りの石段に三成の柳眉が寄る。
「地下への…階段?」
「なんか……真っ暗じゃないですか?」
まじまじとその穴を凝視する三成と左近の反応に気をよくした兼続が、ニヤリと口角を上げる。
「その通り! 『戒壇巡り』の行とは、真っ暗な地下道を灯りなしに渡る行だ。わかったのなら、さっさと行ってこい!」
云うが早いか、兼続は早速二人の背を押すのであった。
2008/09/05