夏幻 − 前編 −
ギラギラとアスファルトを焦がす真夏の太陽が連日最高気温を叩き出し、途切れることのなく鳴き続ける蝉の声が、より一層暑さを際立たせる。
そんな真昼の一時。
空調の効いた快適な空間を吹き飛ばすかのような熱い熱い声が、三成の耳朶を騒がした。
「三成! わたしの話を聞いているのか!? さあ、共に真夏の正しい一時を過ごそうではないかッ!!」
呼び鈴を押すことなく鉄製の扉を勢いよく開け、主に無断で部屋に上がり込んできた闖入者は、目があった瞬間にそう云った。
昼食後のリビングで大好きなハーゲンダッツの抹茶味を楽しんでいた三成は、自分の手を取ってそう力説する親友 直江兼続にかける言葉も思い付かずに呆然と見つめていた。
話を聞くも何も、兼続の第一声がこれなのだ。いったい、なんの話をしているのか、三成には皆目見当がつかない。が、兼続の口調は大方こんなものだ。恐らく、こちらに向かう間に、三成と何らかの話をしている脳内妄想をしていたに違いない。この脳内妄想が、照りつける真夏の太陽のせいでないところが、兼続の兼続たる所以である。
「さあ、出掛けますよ、三成殿!」
兼続に続いて、リビングに上がり込んできたのは、同じく親友の真田幸村。
ニコニコと人当たりのいい笑みを浮かべて、これまた勝手に三成の部屋やリビングを漁っては、財布だの携帯電話だのと出掛ける準備を整えていく。
元来、人付き合いが苦手な三成は、外を出歩くよりも家に籠もって読書などで静かに時間を過ごすことを好む。三成が外出をするのは、自分が必要と感じた時か、もしくは誰かに連れ出された時くらいのものだ。
そして、この親友たちは、時に強引すぎるくらいの引力でもって、度々三成を外へと連れ回す。
超引き籠もりの三成と超行動派の兼続と幸村。足して二で割ったら丁度いい案配となったらしく、三人は親友として長い年月を共に過ごしてきた。
「鬱陶しい」だの「苦手」だのと云いながらも、兼続たちに付き合って出掛けることは、三成にとって新鮮でもあり楽しいイベントだ。兼続の方でも、引き籠もり気味の三成をあちこちと連れ出すことになんらかの使命を感じているようで、何度渋い顔をされてもまったくめげることもなく、熱い情熱でもって三成を誘いに来る。そして、そんなふたりを穏やか
に見守りつつ、時に鋭い突っ込みを入れたり丁寧に仲裁に入ったりするのが、幸村の役目となっている。
つまり、三成自身、彼等と付き合って出掛けることに対して、表向きはツンデレの定義の沿って不平不満を口にするものの、その実なんら不満はないということだ。
そうこれが、平時であれば
――――――
鬱陶しい
――――――
心の底から沸々と湧き上がる不快感を盛大な溜息として吐き出し、眉間に深い縦皺を築いて三成は半眼で目の前の友人たちを睨め付ける。
「……いきなり、なんだというのだ。兼続。幸村」
「なんだではない! 今年の夏こそ、日本の夏の正しい過ごし方を教えてやろうと云っているんだ」
「そうですよ! 去年も一昨年も、三成殿だけが不参加なんですからね。今年は逃がしはしませんよ」
思いっ切り渋面で応じる三成の険悪な表情なぞどこ吹く風。兼続も幸村もグッと拳を握って三成に詰め寄ってくる。
「えぇい! 鬱陶しいわ!! 誰が好きこのんで、こんな天然サウナの中を歩き回らねばならんのだ!!」
「出掛けるのは、日が落ちてからです! 気温も下降しますし日焼けの心配もありません!! 三成殿の美肌は死守されますよ!」
「誰が日焼けの心配なぞしているか! 俺は、熱気ムンムンだったり湿気ジメジメだったりの不愉快極まりない大気の中を出歩くのがイヤだと云っている!!」
「そんなことを云って、毎日冷房の効いた部屋に籠もっているなんて感心できんぞ、三成! 昔の人を見習って、夏は夏らしく外へ出ろ!!」
「ならば、温暖化現象もヒートアイランド現象もない昔に戻せ! 都会の夏は暑いのだよ!!」
そう
――――――
超暑がりの三成にとって、真夏の大気は天敵以外の何者でもない。昼は昼で熱気に肌を焼かれ、夜は夜でじっとりと湿った蒸した空気が肌にまとわりつく。
その上、夏は外骨格生物がやたらと活発に動く季節でもある。真昼にがなり声を上げるアブラ蝉もブンブンと飛び回る蜂も大嫌いだ。まして、真夏名物の痒みをもたらす不快生物なぞ目にするのもイヤだ。勿論、真夏に限らず年中出没する家庭内害虫なんか、目にした瞬間に気絶する自信がある。
兼続たちがいったいどこへ三成を連れて行くつもりなのかは知らないが、昼にしろ夜にしろ夏の外気に晒されるくらいなら、冷房の効きすぎた部屋で冷房病にでもなっていた方が、三成にとっては遙かにマシであった。
行く行かないという、一対二の言い争いを繰り広げていると、玄関から「ただいま」という聞き慣れた三成の恋人の声がする。
三人の視線が、一斉にそちらに向かう。と、買い出しのコンビニの袋をぶら下げた左近が、物珍しそうにリビングの熱い惨状を眺めていた。
「おや、どうしたんですか、三成さん?」
「さこんッ! いいからこいつらを追っ払え!!」
帰宅した左近の姿を見付けるなり、三成は形勢逆転とばかりに左近の背後に逃げ込む。そして、犬でも追い払うかのようにシッシッと兼続たちに向かって手を振ってみせた。
「お、島殿。丁度、いいところに!」
「お邪魔しています。左近殿」
「相変わらず、唐突にいらっしゃいますね、直江さん。あぁ、いらっしゃい、幸村。で、どうしたんです、三成さん」
笑顔で突然の来訪者たちに挨拶を交わすと、左近は自分の後ろに逃げ込んだ三成に問いかける。問われた三成は、不機嫌そうに唇をへの字に曲げたまま友人たちに細い指を突き付けて、その暴挙を左近に訴える。
「こいつらが俺をキョーハクするんだ。俺の一夏の安寧のために、こいつらを追い出せ、左近! 今すぐだ!!」
「非道いぞ、三成! 我らの義と愛はどうなるのだ!!」
「義と愛を説く前に、嫌がる親友を無理矢理に拉致しようなどとするな!! この烏賊がッ!!?」
「ぬッ! なぜか意味もなく心が痛むぞ。『烏賊』の部分が……」
「痛む部分はそこかぁ! この明太子唇!!」
「烏賊に明太子……。なにやら非常に食欲をそそりますね」
「ははは、この食いしん坊め。涎を垂らすな、幸村。さて、じゃ、でかけるぞ、三成!」
「貴様は本当に人の話を聞かんのだな、イ兼続がッ! 幸村!! 人の家の炊飯器を漁るな!! 炊きたての白い飯も明太子の烏賊もウチにはない!!」
端から見ている限り、この漫談のような会話は見ていてそこそこに面白いのだが、開けっ放しの玄関口でそれを永遠と披露されるのは、家主としては非常に迷惑である。つい先程も、クツクツと忍び笑いを堪えながら、お隣の伏儀さんが通り過ぎていった。
しかも、このままでは三成のために買ってきた「ハーゲンダッツ6個入り」が敢え無くべたべたの液体へと変化をしてしまう。ついでに自分のために買ってきたキンキンに冷えた缶ビールもぬる燗と化す。
というわけで、左近は家主権限でレフリーストップをかけることに決めた。
「三成さん。兼続さん。幸村さん」
左近の低い声が、三人の漫才に割ってはいる。
目と口元に笑みを浮かべて穏やな口調で問いかけるが、纏う雰囲気に剣呑としたものが混じる。
「そろそろ、いい加減にきちんと事情を説明して頂けると助かるんですがねぇ」
左近が白い歯も鮮やかにニコリと笑う。
そして、三人はただただ黙って肯いた。
無事にハーゲンダッツは冷凍庫へ、缶ビール6本パックは冷蔵室へ。その他の品もあるべき場所へと手早く仕舞うと、左近は改めて三成たちに事情を問い質す。
「で、いったいどうしたんですか?」
「兼続と幸村が俺に誘拐しに来たのだ」
「む。微妙に違うぞ、三成。実を云うと、『アレ』の誘いに来たのだ」
「『アレ』? 俺はきちんと事情を説明してください と云ったような気がするんですが…… 三成さん。『アレ』ってなんです?」
口を尖らせる三成と快活な笑顔を浮かべる兼続。並ぶ二人のように微妙にちぐはぐな会話に左近も眉根を寄せる。
「知らん。俺もなんのことだかわからんが、少なくとも地獄のような熱気が立ちこめる外へ拉致られることだけはわかる」
「三成殿。引き籠もりはいけませんぞ。偶には外へ出なければ! 子供は風の子と申すではありませんか」
「もう既に風の子の年齢は過ぎているわ! 引き籠もり結構!! 無駄な遊び金も使わずに平和に暮らせるではないか!!」
幸村がグッと拳を握り力説をするが、その情熱を冷やすような冷徹な一瞥を三成は投げつける。が、今し方、三成が口にした一言に左近が首を捻る。
「いやあ、今月、電気代が結構かさばってますよ」
「え?」
思わぬ方角からの奇襲に、三成は一瞬呆けたように切れ長の目を丸くする。しかし、「ほら」と左近が差し出した今月の電気代が記された伝票を目にした途端、その秀麗な顔が、みるみる苦虫を噛み潰したような面相となる。
確かに、伝票に記された金額は、軽く先月の倍以上。かさばるどころの話ではない。
「まあ。朝から晩まで24時間クーラーを動かしていれば、さもありなん。まさに、家計と地球の天敵だな。世間がみなでエコを志す中、なんという不義!」
「なんてことですか! わたしなんか、部屋にクーラーのない六畳一間。涼を得るためにあっちのスーパー、こっちの図書館と方々を彷徨い歩いているというのに……。兼続殿の仰る通り、これは不義ですぞ!! 我らの義と友情はどうなされたのです!」
「なッ! ふ…不義!?」
兼続と幸村も三成の肩越しに伝票を覗き見る。幸村なぞ、己の境遇との余りの落差に肩が少し震えている。
そんな友人たちの言葉に、三成は衝撃を受けたようにガクリと頭を垂れる。だが、数秒の沈思後、三成は琥珀の瞳の端にしっかりと涙を浮かべつつ上目遣いで左近を見つめると、
「うぅ……すまぬ。さこん。俺は涼みたいのだ……」
「いや。まあ、別に構いませんが……。で、兼続さん。結局『アレ』というのは一体何なんですか?」
家計よりエコより不義より友情より、今の三成にとっては身に馴染んだ快適な空間の方が、何倍も重要であるらしい。
そう訴える三成の悲壮な決意を左近は苦笑いで受け流して、ずれにずれた話を元に戻した。
「フフフ。何を云う島殿。日本人ならば、夏は『アレ』ではないか! 寧ろ、『アレ』と決まっているだろう!!」
「ですから、『アレ』じゃわからんって云っているんですよ」
「仕方のない。ならば説明をしよう。日本の夏の伝統! 『アレ』といえば…………」
さも当然といわんばかりに『アレ』と繰り返されても、兼続と違い常識というカテゴリの範囲では、凡人である自分にはさっぱり見当もつかない。言外に「いい加減にしてください」と半眼で睨み据えれば、やれやれと兼続は肩を竦める。
三成さんの友人じゃなきゃ、殴っていた……いや、ホントに……
胸中で湧き上がった殺意を、左近は大人の態度で抑えた。無意味に偉そうに胸を張る兼続に向けて、眼光を飛ばしてみるが、当人は気付いているのかいないのか、好青年らしい爽やかな笑顔を浮かべてこう曰った。
「日本の夏! 肝試しの夏であろう!!」
「安心しろ、三成。肝試しといっても初級編だ」
「ええ、怖くはないですからね。大丈夫です。もう、ばっちり」
警戒する猫のように左近の背後に隠れた三成に向かって、兼続と幸村はまさに猫を撫でるような声を出す。
肝試しに初級編。ましては、怖くない肝試しというものが存在するか疑問ではあるが、どうあっても目の前の友人たちは三成をその「肝試し」とやらに連れ出す気のようだ。
承諾するにしろ、力ずくでお断りするにしても、忠実なる恋人としては、背後に隠れた佳人の意見が第一である。左近は自分の後ろに隠れてしまった三成に声をかけた。
「だそうですよ、三成さん」
「バ、バカを云うな! こ、怖くなどない!! だ、だ、大体、お化けだの幽霊だの、いるはずないだろう!! だ、だから、肝試しなど、む、無意味だ!」
「そう云う声が震えていらっしゃいますよ」
「なんだと!」
幸村がからかうようにクスクスと喉の奥で笑声を押し殺すと、途端に三成は柳眉を跳ね上げた。声が震えていたのは事実なのだが、プライドの高い三成がその事実を認めて大人しく「そうだ」などと云うはずもない。
案の定、忍び笑う幸村に反撃をしようと薄い唇が開きかけるが、それより先に兼続が口を挟んだ。
「わかった。ならば、島殿も一緒に肝試しに行こう。それなら、いいだろう、三成?」
「俺ですか?」
「左近も一緒?」
突然、話を振られて左近が目を丸くする。その後ろで同じく三成も琥珀の目を見開いて友人の顔を見つめていた。
その反応に気をよくしたのか、兼続が満面の笑みを浮かべて鷹揚に頷く。
「そうだ。肝試しでデートは夏の恋人の定番行事! 日本人ならやらないでか!!」
この「デート」という単語が、実に見事に三成の心を射止めるのであった。
先程まで、放っていた不機嫌なオーラは霧散し、代わりに妙にそわそわとして雰囲気を纏うと、窺うように「さこん?」と甘えを含んだ声が聞こえる。
どうやら、三成の扱い方を心得ているのは、自分だけではないようだ。長年、親友として過ごしてきた三成と兼続たちとの年月の長さは伊達ではない。
そんな当然のことに浮かんでは消えた小さな嫉妬心。意外な自分の心の機微に左近は胸裡で小さく「まいったな」と呟く。もっと大人の余裕とやらでサラリとかわせるものだと思っていた感情に、心が思わずざわざわとざわめく。そんな思いを笑みに変えて、左近は三成に微笑んだ。
「ま、夏の恋人の定番といわれれば、やらないわけにはいきませんよ。ね、三成さん」
2008/08/31
後編へ続きますのはずが、中編に変更〜です。
義トリオ初の勢揃い。現パラでも兼続は兼続でした。