甘い果実 6


「そなたが、果樹園の者か? わざわざ、梨を届けてくれたそうだな」
「………えっ!? あ……は、はい。左様で……」

厨房で茶を振舞われていたのは、若い娘であった。行商に城下を訪れたためか、小奇麗に身支度を整えている。しかし、日に焼けた肌は町娘というより野外で働く者特有のものであった。
目鼻立ちは整ってはいるが、焼けた肌のせいだろう「美人」というよりも健康的で愛嬌があるといった印象がある。

「馳走であった。礼を言う」

そう言う三成を娘はジッと見入っている。

三成としては迷惑な話ではあるが、類まれな美貌を持つ彼に思わず見惚れる若い娘(と、限らない場合もあるが……)は多い。しかし、今、三成に見入っている娘の視線には、そういった「欲目」は感じられない。
―――― 寧ろ、「困惑」といった色の方が強い。
いつもならば、眉の辺りに皺を寄せるだけでそういった視線は完全に無視をする。もしくは、辛辣な物言いで追い払ってしまう。だが――――

「………なんだ? 俺の顔になにかついておるのか?」

三成は、丸い大きな瞳で凝視する娘に問いかけた。
なんといっても、今日は機嫌がいい。加えて気に入っていたあの見事な梨を届けに来たという点でも、自分に見入る娘に悪い印象はなかった。
それに、娘の視線の意味も気になる。

「はい……あの、その」
「どうした? 言いたい事があるならはっきりと申せ」
「いえ……あのお武家様の主って、殿様でしたのかと……」

一瞬の沈黙―――――

「はっ?」

思わず発した間の抜けた声は、この際置いておこう。兎に角、娘の発言の意味がわからない。
三成は、目を丸くし言葉を失った。二の句が告げない。
聡いといわれる知恵を振り絞って達した結論は――――


     「お武家様」とは、左近のことだろうか?


辛うじて、そこはなんとか察しがついた。では、その主とは当然自分である。では、なぜ自分が「殿」であるとそんなに凝視されなければならないのか。


     わからん……


戸惑う三成。
控える家中の者も戸惑ったような、なんともいえない微妙な表情を浮かべ、成り行きを見守っている。
そして、自分の発言が思わぬ波紋を引き起こしつつあるのを感じ、娘は取り繕うようにしどろもどろに話を続けた。

「えっと……お武家様が随分と……そのう、主に梨を届けるよう仰られた時……ぁの…とてもお優しいお顔をされておられましたので……あたしてっきり……」


娘は一呼吸置く。


「お武家様の主とは、姫様なのかと思っておりましたの……」

一気に言い切った娘は、上目遣いで三成の表情を伺う。
言葉を偽るということを知らない娘の正直な直球の威力は絶大だった。

「………………」

答えはない。

「………………」

目の前の貴人は、切れ長の目を見開いて言葉もなく立ち尽くしている。「空いた口が塞がらない」という慣用句をものの見事に体言をしている。
こんな場合、一体どのように対処すればよいのか、朴訥な娘にはまったく思いつかない。沈黙に耐えられず、兎に角、思いつくままに言葉を並べてみる。

「えっ……だって、お武家様に『主の方ってきっとお綺麗なんでしょうね』って申し上げたら……『そうだ』って笑ってお答えになられるものですから…………それで、てっきりお姫様なのかとぉ…………えっ! その、殿様もとてもお綺麗ですけれども……」


天下人の懐刀として辣腕を振るい「神算鬼謀」とまで呼ばれる石田冶部少輔三成。
まさか、純朴な一農民の娘にその智謀を停止状態に追い込まれようとは…………


まったく持って非常に不愉快ではあるが、武断派の武将たちから「女のようだ」とよく侮蔑を込めて言われる。
だからと言って、本当に女と間違われることなどはない。顔立ちや身体つきは武骨な武将たちに比べれば細いと言わざるを得ないが、戦扇を振るい戦場で武功を上げるための力量はある。
もっとも、優雅な打掛を纏い、化粧を施せば、それこそ絶世の美女と見紛う………………………


     あぁ、違う違うッ! この娘に言うていることとは微妙に……というか、全然違うぞ!!!


三成は、とんでもない方向に流れかけた思考に必死に修正をかける。柳眉を寄せる顔は、冷静を装っているが、その胸中は嵐のように思考の渦ぐるぐると渦巻いている。


     つまり――――――


「……ひとつ聞くが、その『お武家様』からこの屋敷の主の名は、聞いておるのか?」
「いいえ」
「では、ここが『石田冶部少輔三成』の屋敷であると知っておるのか?」
「…………いいえ、全然」

娘は素直に首を横に振る。
ひょっとしたら『石田冶部少輔三成』という名が、どんな意味を持つのかすら知らないのかもしれない。


     あの阿呆…………ひょっとしてこの事態を期待しておったのか?


三成の脳裏に不敵な笑みを浮かべる軍師の姿が蘇る。あえて主の名を告げずにいたのは、左近のほんの少しの悪戯心なのだろう。
それに、普段から「綺麗な顔をしてやるじゃないですか」などとふざけた褒め言葉を平気で口にする男だ。軽口に「自分の主は綺麗だ」くらいいくらでもついてでるだろう。


     左近め。他でも同じようなとを戯言を言い回っておるのではないだろうな……


渋面で唸る三成。
その時―――――

「あ、あの……そ、その申し訳ありませんッ!!」

三成が不機嫌そうに眉間の皺を深くしたのは、自分の所為ではないかと思った娘が、勢いよく頭を下げて平謝る。

「別段、そなたを責めておるのではない」
「でも……」
「そなたの所為ではないと言っている。意味もなく謝罪の言葉など口にするな」
「…………」

三成は、言い淀む娘に対しいつもと変わらぬ横柄な物言いで言葉を遮る。
その厳しい物言いに娘は顔を青くして黙り込む。周囲に控える家中の者も口を出せずにいる。


     あぁ、そんな顔をさせるつもりはなかったのに……


胸中で後悔をしても口から出た言葉は取り消せない。
過去に何度も同じようなことを繰り返し、ねねや親友の兼続や幸村らを困らせてしまう。今だって、何の咎もない娘を困らせてしまっている。

自分の失言のせいで、青くなってしまった娘を見るに忍びなく、踵を返してその場を立ち去ろうとする。



   「殿ッ!!」



「ッ!?」

気の所為かもしれない。だが、そう自分を叱る左近の声が聞こえたような気がした。

しばしの逡巡。



「……すまぬ。言葉がきつかった」

そう言うと三成は、不意と顔を横に背ける。自分が悪いとは思っているからこそ気恥ずかしさの余り、まともに相手の顔も見えなくなる。

ようやく口にした言葉は、お世辞にも愛想がいいとは言いがたいが、青く強張った娘の表情を和らげるには十分だったようだ。

「いいえ。わたしの方こそ……」
「この件は、何も知らぬそなたの所為ではない。何も言わなかったあの阿呆が悪いのだから気にするな」
「はい」

わざと「阿呆」の部分を強調する三成に、思わず娘の頬も綻ぶ。

「それと……」
「?」
「市のついででよい。また、梨を届けに参れ」

自分を叱った時の居丈高な声色から一転をした小さな振り絞るような声。だが、しっかりと自分の耳に届いた。

「はい、喜んでッ!」

破顔一笑。
ニコリと微笑んだ娘につられ、三成も微かに笑みを浮かべた。





2006/10/01