甘い果実 7
「そうですか……」
夕方
――――
左近は、赤く染まった鼻筋を手で撫でながら苦笑を浮かべる。
所用から戻った左近が書斎に赴いた時、労いの言葉の代わりに行き成り投げつけられた三成の扇で鼻面を強かに打ちつけたのだ。
理不尽な主の所業を問い質してみると、件の梨園の娘の話をされた。
「まったく……お前。まさか、あちらこちらで『自分の主は綺麗だ』などいう戯言を風潮しておるのはないだろうな」
不服そうに眉間に皺を寄せ、三成は半眼で左近を睨みつける。
二人の間には、原因となった梨が切り分けられ湯気を立てる茶と一緒に置かれている。
その甘い芳香を放つ梨に手をつけるでもなく、左近は目を細めてクツクツと喉の奥で笑う。むしろ、三成に睨まれるのを楽しんでいるようだ。
「おや? いけませんか。左近は嘘は申しておりませんぞ」
「嘘とかそういうことでなくて……」
「では、どうしてそのようにご機嫌を損なわれているのです?」
「おなごでもあるまいに……綺麗と言われても恥かしいだけだ」
「殿が綺麗なのは本当のことでしょう。男でも女でも美しいものは美しい」
「なら、そんな台詞は、どこぞの女にでも言うてやれ。俺はそんな褒め言葉はいらぬわ」
三成はそう言うと、手で愛用の扇をもてあそびながらプイッとそっぽを向いてしまう。
そんな三成がよほど面白いのか、左近は声を出さずに忍び笑いを続ける。
「やれやれ……。本当にそんなこと他の女に言ったら扇を投げつけるだけじゃ済ましてくれないでしょうが」
「……ッ!? な、なんで、俺がそんなことでいちいち怒らねばならぬのだ」
「『怒る』というか、世間一般ではこういうのを『やきもち』とか『悋気』とかと言うんですよ。殿は存外嫉妬深いんですよねぇ」
「嫉妬深い??」
「そうですよ」
左近は、片眉をひょいと上げ、大太刀を振るう太い掌で自信有りげに顎をさする。口元には不遜な笑み。
目で「心当たりあるでしょ」と問いかけられると三成は柳眉を開き小首を傾げる。
「は…はぁ? 俺が……か??」
「いやはや、まったく自覚していらっしゃらないとは……。『やれ、どこの妓楼に行って来た』だの『あの侍女と何を話していた』だのと……ことある毎に左近を苛めるのは、どこのどなたでしょうかねぇ」
「それは……その…主君として家臣の行動を戒めるのも務めのうちだ……と」
「普通、家臣がどこぞの妓楼で遊んだからっていちいち詮索する主君なんぞいませんよ。第一、殿は左近のことを同志だとおっしゃいませんでしたか?」
「じ……じゃあ、同志だからだッ!!」
「あー、はいはい。同志だからですよねぇ」
「も、文句あるのか!?」
「兼続殿や幸村殿だったら何もおっしゃらないのに、左近だったらそのように詮索するのは何故でしょうかねぇ」
「……ぅ…そ、それは……兼続や幸村は親友であって……だな」
「同志とは違うと? そりゃ屁理屈というもんですよ」
「〜〜〜〜〜」
どうにも自分の行動が嫉妬心からくるもののとは認めたくないらしい。
頑固なのか。世間ずれしているのか。はたまた気恥ずかしいだけのなのか。
恐らく全部であろう。顔を真っ赤にしながら拙い理屈を必死に並べ立てる三成が可笑しくもあり可愛らしくもある。
「なんだ、そのにやけた顔はッ!?」
左近が締まりなく緩む頬を押さえ切れずにいると、それが三成の癇に障ったらしい。怒気を含んだ声を左近に放つ。が、気恥ずかしさが混じるのかいつもの迫力はない。
逆にその怒声に刺激されたか、左近の頬はますます緩む。挙句
――――
「左近としては、殿がそういう風に妬いてくれるのは嬉しい限りなんですけどねぇ」
「もう、いいから黙れッ!!」
とうとう、堪えられず可可と大笑いをした左近に向かって、一欠けらの瑞々しい果肉が狙い違わずに投げつけられた。
夜は静々と更けて行く。
すでに夕食の膳は片付けられ、代わって用意されたのは酒と若干の肴。交わす会話は、本日の左近の報告や他愛もない話。
ゆるゆると流れる時の流れが、三成の機嫌を直したらしい。左近ほどではないが、酒を杯に注ぎゆっくりと口に運びくつろいだ様子で、左近の話に相槌を打つ。
だが、ふと訪れた会話の間の静寂。秋の虫たちの涼やかな音色のみが、時の流れを告げる。
「…………左近に叱られた」
唐突な三成の言。ポツリと吐き出されたその言葉は、ともすれば虫の音に掻き消され聞き逃してしまいそうなほどの小さい。
「…と、思うだけなのだが………………」
「と、申しますと?」
一言一言、言葉を捜すように、三成はそろりと口を開く。が、そのまま口を噤んでしまいそうな様子に左近は、優しく先を促す。
「きつい言葉であの娘を困らせた」
何の悪意も持たない無垢な娘であったのに
――――
「どうしてよいかわからず、娘をそのままにしてその場を立ち去ろうとした」
いつもそうだった。左近が……
「だが……お前に叱られた気がした」
左近が俺の元に来るまでは
――――
「そうですか」
左近は静かに笑む。
「左近は殿のお役に立てましたか……」
「……あぁ、いつも左近に助けられている」
その答えに左近は満足そうに微笑む。その笑みに三成も微かに頬を緩める。
そして
―――――
「その……感謝している」
紅潮した頬。そう告げる口元には極上の笑み。
その様はまるで、花開く桜のようで…………
「殿、失礼」
「さ、左近?」
驚く主を無視し、左近は酒盃を持つその細い手を引き、身体ごと自らの手中に収める。三成の手の杯は、カランと音を立て畳に落ちる。零れた酒精が小さなシミをつくった。
一瞬、三成の意識は畳に落とした杯に奪われる。だが
――――
「余り可愛らしいことをおっしゃいますな」
「……あ、阿呆が」
抗議するように耳元で低く囁く家臣の声があっという間に三成の意識を支配する。
不服そうな声色とは裏腹に、三成は己の身を絡めとる頑強な腕へと大人しくその身を預けると、その広い胸板に顔を埋めた。
「こういう時に言わずして…………いつ言えと?」
ボソボソっと呟くような声が左近の耳をくすぐる。
三成は、白い額を押し付けるように左近の胸に顔を隠してしまっている。左近には三成の表情を伺うことはできない。しかし、その髪から覗く耳がまるで染めたように赤くなっているのを見て、左近は優しく三成の髪を撫でる。
「それとも、俺が……こんなことを言うのは可笑しいか?」
「そんなことはないですよ。現にこうしているじゃないですか」
「うん?」
「殿にあんな風に言われるとこうして抱き締めたくなるんです」
そう言うと三成を抱き締める手に少し力を込める。けれど、壊れ物を愛でる様に、髪を、肩を撫でる手は優しい。
「……痴れ者めが」
「お嫌ですか?」
「知っているのに聞くな」
そう言うと隆とした背に回された白い腕に力が込められた。
「で、結局…・・・さっきの戯言の件、答えはないではないか」
白い敷布に朱の糸を散らした三成が、不満げに唇を尖らせる。
嫉妬深いだけじゃないんですね
左近は、自分を見上げてくる主の子供のような拗ねた顔に困ったような表情を返す。すっかり忘れていたものと思っていた話を掘り返されて左近は苦笑をする。
主の問いかけに答えぬわけにはいかない。されど、正直に答えるのも面白くはない。
それならばと、左近は悪戯っぽい笑みで答える。
「なら今度、佐和山にお戻りになられましたら領地の見回りでも致しましょうね」
「まさか、城の普請中も領内でそんな戯言を言い回っておったのかッ!?」
「さて、それは実際にお確かめになられては?」
からかう様にニヤリを口の端を上げる左近に「もう知らん」と三成は背を向ける。
その背中を後ろからそっと抱き寄せ、風邪を引かぬようにとそっと夜具をかける。
やがて、健やかな寝息が二つ。涼秋の夜の闇に溶け込んだ。
2006/10/08
長々とお付き合いいただきありがとうございます(多謝)
無駄に長い上、なんかオリジナルキャラが随分と頑張りましたねぇ。
自分的には梨園の娘さんの視点は<腐女子視点>のつもりで書いてました。なかなか美味しい立場でないでしょうか。
それにしても相変わらず「ちゅう」までです。
もっと艶っぽいお話も書いてみたのですが(妄想は山のよう)、文章力が追いつきません〜
最後の部分が「事後」なのかは、皆様のご想像にお任せします〜
。