甘い果実 5
大阪城下の昼下がり
――――
盛夏の暑さは過ぎ去り、秋の気配がそこかしこに感ぜられる時分となった。
過ごし易くなった季節となり、三成の暑気あたりによる食欲の減退もなくなった。最近は体調も良い。
登城して裁決するような仕事も粗方片付いているため、今日は好きに過ごしても問題はない。三成は読みかけの漢書にでも取り掛かろうか書斎へと向かう。
久方振りに自由に過ごせる貴重な時間。更に都合のいいことに、多少行儀悪く過ごしても小言を言う者 ―多くの場合、左近をさす― も夕方まで屋敷に戻ることもない。
数少ない楽しみである読書を邪魔される要素はほとんどないと言っていい。
三成は、機嫌よくゴロリと畳に寝転がると漢書の字を追い始めた。
「おい」
字を追い始めてから半刻
――――。ふと、三成は書物を捲る手を止め、通りかかった侍女を呼び止める。
「左近の持って来た梨だが……まだ、あるか?」
喉の渇きを覚え、急にあの甘さが欲しくなった。
本来なら、読書のお供にはお茶と団子などの茶菓子なのだろうが、三成自身、存外あの梨の味が気に入ったようだ。左近が「見事だ」と褒めたせいもあるのかもしれない。
案外、自分の嗜好も単純なものだ
そう思う。
唐突な主の問いかけに、侍女はすぐに命ぜられた内容を反芻する。石田家中の者は、こういった主の出し抜け的な命に慣れている。
侍女は、しばしの思案の後
――――
「あぁ……あの水菓子でございますか? 確かもうなかったのではと……」
「そうか……」
「それに、島様がお戻りになられてから日も経っておりますし……」
珍しく残念そうな表情をする三成に侍女は申し訳なさそうに答える。
言い難そうに眉を顰める侍女の言わんとしたことは、理解できた。左近が戻ってからの日数を考えれば、あの瑞々しかった果肉も痛み出す時期だ。もし、梨が残っていたとしても、主人に痛んだ物など出せようはずもない。
「すまなかった。もう良い」
呼び止めた侍女を開放し、三成は再び書に目を落とす。侍女は一礼しその場を去って行った。
書に目をやりながらも、三成は、後で左近にどこの果樹園のものなのかを問い質せねばと思案する。が、不意にそんな考えがおかしく思えてくる。
たかが、梨などに……妙な執着を持つものだ
いつもの自分ならば、そんな執着を馬鹿馬鹿しく感じるだろう。他の者がそんな素振りを見せれば、皮肉のひとつやふたつ口にしたかもしれない。
常にない執着の根底に「あの男」が関わっていることが、原因であるならば
――――。と、ここで三成は、考えを止める。
「……阿呆か、俺は……」
吐き出した言葉は誰に聞かれるでもなく宙に消えた。
小さく頭を振り再び書に没頭しようとする三成の頬が微かに赤いことも誰も知らない。
三成が、書の黙読を再開してから程なくして先ほどの声をかけた侍女が、器に切り分けた梨を持ってやって来た。
「気を使わせたな」
恐らく、急いで近場の市か何かで手に入れてきたのだろうと思ったが、侍女は含み笑いをしたまま、「どうぞ」と言うだけであった。
不審に思いつつも差し出された梨を口にした。
――――と、
「…………これは」
覚えのある甘さに三成は驚く。そんな三成を悪戯っぽい笑みをたたえ侍女が答えた。
「先ほど届きましてございます」
「届いた?」
「はい。果樹園の者が届けに参りました。島様よりこちらに梨を届けるよう仰せつかったとのことです」
「そうか」
聞く話によると、届けに来たのは農民の娘で、徒歩で丸一日かかる郊外の果樹園の者だと言う。明日の楽市に収穫した果実を行商するために大阪の城下町にやってきたらしい。
以前、左近が梨を買った際に、大阪に行商の訪れるのならば梨を届けに寄るよう言われたのだと言う。
「その者はどうしている? 一言礼が言いたい」
2006/09/22