甘い果実 3
「痩せましたな」
そう言って笑った左近は、旅塵にまみれたままの姿だった。聞けば、屋敷についてすぐにこちらに来たという。
最初、埃を気にして座敷に上がることを遠慮していたのだが、三成の「左近ならば気にする必要なない」という一言で、こうして膝を突き合わせて主との久々の対面を果たすこととなった。
「誰の所為だ」
久々の逢瀬だというのに、三成は先程からそっぽを向いたまま。左近の一言にも不機嫌そうに返答を返すだけだった。
だが、左近は目ざとく三成の朱の髪から覗く耳が微かに赤らんでいるのを見て取る。先程の独り言を聞かれたのが余程恥ずかしかったのであろうと容易に想像ができた。
ホント、可愛いよねぇ
そんな三成の態度は、左近の悪戯心を十分に刺激する。本音を言えば、もっとからかって自分にだけ見せる子供じみた顔を楽しみたいのだが、今はお預けだ。
左近は、胸中でほくそ笑む本音を抑えつつ先を続ける。
「左近は、文に『無理にでも少しは食事を口にされなされ』と書き添えましたが?」
「食えぬものは食えんわ。 そういう左近こそ、随分と元気そうではないか」
「そりゃ、城の普請のため炎天下の中、あちこちと駆け回ってましたからね。夏バテ程度で体力が落ちるようじゃ務まりませんよ」
「……それは、俺に対する嫌味か?」
形のよい眉をひそめ三成は口を尖らせると、左近は日に焼けた顔を緩ませる。
「そう、拗ねないでくださいよ。殿の不足を補ってこその軍師であり家老でしょう? それにしても……」
左近は一瞬言葉を切ると、そっと大きな掌を三成の頬に添えた。
「本当に痩せましたね」
溜息混じりに吐き出された声に慙愧の色が滲む。
戦場では巨大な斬馬刀を振るい敵を蹴散らす無骨な手が、三成の少し痩せた顔の輪郭を優しく撫でた。
「こんなになると分かっていたら、もっと早くに戻るのだった」
「……す、すまぬ。左近の所為などと。暑気あたりなど、毎年のことで左近の所為などではないのに……」
左近の目に宿る自責の念を読み取り、三成は声を詰まらせる。
俺の「寂しい」などというつまらぬ感情のせいで、左近に要らぬ気遣いをさせた
第一、彼に命を下し、領地へと赴かせたのは自分自身。「寂しい」かったなどと言える立場ではない。感情の機微に疎く、理性を優先させようとする三成にとっては、こういった思いをどう扱えばよいのかがわからない。
困った挙句に、左近の顔が見れず顔を伏せ視線を逸らしてしまう。
顔を伏せた三成の白皙の顔に浮かぶ憂いの表情を見て、左近は舌打ちをしたい気分となった。主の感情の変化に三成が何を思ったのかを瞬間に理解したのだ。
まったく……聡い方の筈なんだがね。ま、そこが殿らしいと言えば殿らしいのだが
ならば、自分が教えてやればよい。その思いこそが目の前にいる男の心を捉えて離さないのだと
――――
「殿」
「なんだ?」
「寂しかったですか?」
「………………」
「左近は、殿に会いたかったですよ」
自分も同じです……
自分もあなたと同じ寂しく思っておりました。
凪いだ海のような穏やかな笑みがそう三成に伝える。
同じ思いを抱いていたと言外に伝えられ、三成は再び顔を伏せてしまう。
「……………………あぁ」
搾り出すように答えた声は小さい。
だが、その顔には憂いの色の代わりにほんの少しの喜色が浮かぶ。
「正直でよろしい」
左近は満足気に微笑むと、俯く三成の顔をそっと上げさせる。
互いの吐息が近い。
「なら、殿にお土産ですよ」
何か言おうと三成の唇が微かに動くが、それが言葉となることはなかった。
2006/09/16