ユウヤミの詩


豊臣政権の重鎮として、石田治部少補三成の日々は多忙を極める。
そのため、長く多忙な日々の合間に訪れる休息は、まるで飛ぶ鳥のように軽やかに過ぎ去っていくように三成には感じられた。
久方振りに得られた長の休息の日々。真夏の盛夏に頃になると、暑さで弱る三成を気遣っての処置だが、当初は、「こんなに纏めて休みを与えられてもなにをすれば見当もつかぬ」と不満顔であったのだ。

しかし、この長の休暇は三成が考えていたよりも充実したものとなった。
領内の視察と称したお忍びや読みたかった書籍の読書も楽しんだ。
時折、ゆるりと気に入りの茶碗で茶を点ててみたり、目にした庭木の美しさに詩を諳んじてみたり。普段は気にも留めなかった空や日の光。風に揺れる葉擦れや夕立の雨音。そんなものに忙しさで強張っていた心が溶かされていくような気がした。
長期の休暇など、非生産的で無駄なものだと切って捨てていた昔の自分からは想像もつかない。
そんな風に思えるようになったのは、側近くにいて、あれやこれやと気を回してくれる者がいるからだ。
そう、あの男が側にいるならこの閑居な暮らしもまた楽しいものであることを知ったのだ。


  その休暇ももうじき仕舞いか……


なんとも物寂しいような気持が三成の心中を掠める。
そんな取り留めのない物思い。
なにもしない、ぼんやりとした時間をひとり過ごしていた三成に声をかけるものがいた。

「殿。こちらでございましたか……」
「左近か……」

夕闇が迫る佐和山城の天守閣。
そこから、三成がひとり見下ろしていた夏の琵琶湖は夕陽が投げかける残光に橙色に染まっていた。その美しい陽の色合いも少しずつ濃紺へと染まり、やがて夜色の衣を纏わんとする。

「あぁ、近江の湖が見える景色はやはりよい。ほら、左近。見てみるがよい。湖が夕陽を受けて輝いておる」

三成は、過ぎ行く夕陽を惜しむように熱心に琥珀の瞳を沈む夕陽に向けるが、その実、先ほどまで脳裏を占めていた者の登場に些か心の裡がざわめく。
まるで、心中の考えを見透かされたような気になり、ほんの少し頬が熱を持つのを感じる。左近に上気した頬を悟られぬよう、湖に話題を転じてみるのだが……

「さ…左近。お前、夕陽を見ずに俺の顔を見てどうするというのだ?」
「左近にとっては夕陽に輝く近江の湖よりも、それを愛おしそうに眺める殿の横顔の方が美しく思えるんですよ」
「あ、阿呆か。俺の顔なぞばかり見ているな。湖の女神に怒鳴られるぞ」
「それはそれは……。左近に見つめられて頬を赤くされる殿から目を離すのは心残りなんですがね。お言い付けならば、頬の赤みが退くまで一時目を反らし差し上げましょう」
「だッ! 誰が赤くなっている!? これは、夕陽のせいで……」
「ほら、殿。湖が美しいですなぁ」
「左近!」

クククと喉の奥で忍び笑う左近から三成は慌てて顔を反らす。でなければ、益々赤くなる己の顔色を夕陽のせいだと誤魔化せなくなる。
しかし、そんな三成の態度が更に左近の笑いを誘い、三成は童の如くにムスッと唇を突き出して「左近の阿呆が!」と不機嫌そうな声を上げると、そのまま、一時だけ主従の会話は途切れる。
真夏の夕刻。沈黙の降りた空間に、静かにヒグラシが鳴く声が遠くに聞こえる。すうっと湖からの一幅の風が涼を運ぶ。
静観とした。されど、どこか満ち足りたような玉響の時。その合間を揺らすように左近がゆったりと口を開く。

「この風景ともしばしのお別れですな」
「ああ……。また、忙しい日が続くのだな」
「お嫌ですか?」
「まさか。俺は望んで忠を尽くして職務を行っておるのだ。多忙な日々が嫌などとは思うてはおらぬ」

心外だといわんばかりに三成が目を見開く。

「だが……」

ふっと琥珀の瞳が夕陽の光に揺らめくと、

「些か……惜しくはあるな」

そう呟くと、眼差しは再び夕陽に栄える近江の湖を見やる。
その心底、去りゆく静かで気儘な日々を惜しむかの声調に左近はほんの少し片眉を上げた。