四百四病のほか 《快癒編》


曹丕は、困惑していた。ついでに、怒っていた。
山と積まれた書簡を睨みつけるも、それが減る訳でもない。しかし、どうしても睨まずにはおれなかった。

「曹丕様。これを……」

新たに両手に一杯の書簡を抱えて官吏が執務室へと入ってくる。
曹丕は、それを凶悪な視線でギロリと睨みつけた。睨まれた官吏は「ひッ」と真っ青な顔で息を呑むが、新たに来た非常に有能な上司に鍛えられた能吏は、それはそれは仕事に忠実であった。
「し、失礼します」と裏返った声を出しながらも、抱えた書簡をドサリと曹丕の目の前に置く。あとは、声を掛けられる前にと一目散に執務室から出て行く。
その後ろ姿を見送りながら曹丕はチッと舌打ちをすると、目前の書類の山と格闘をするべく新たに筆を手に取った。


例の騒動から数日。
曹丕があの時感じた「イヤな予感」は当たっていた。
「悪い予感程よく当たる」と先人は云ったとか云わないとか……。そんな格言があったのかと思う出そうと試みてみたが、どうにも思い出せない。まぁ、思い出したところで現状が好転する訳でもないので、別段、思い出せなくとも構わない。

思えば最初は、それは凡庸な手違いから始まったのだった。
兵糧確保の小さな間違い。間違えた当人も指摘された間違いに対して適正な処理を行い、間違いは修復され兵站に支障をきたすことはなかった。
そう。その時は事なきを得ることができたのであった。
だが、小さな間違いはそれだけではなかった。手違いは手違いを呼び、みるみる状況は悪化していった。今や、その結果が目の前の書簡として曹丕の目の前に鎮座する。
これでは、遠呂智討伐どころの話ではない。辛うじて、兵站の破綻は起こしていないものの兵の士気は低下の一途を辿っている。
例えばこんな風に………

「我が君! わたくしの美容道具。イオン式のフェイシャルスチームはいつになったら手配出来るのでしょうか?」
「あぁ、わたくしのプロポーションを保つためのロ○オ○ーイはいつ手元に? 旧式番ではなくてUの方」
「いやぁ〜、曹丕。悪いんだけど、今流行りのダーツってやつ? ほら、自動採点式のよ! あれが欲しいって前に云ったじゃねぇか。あれっていつ届くんだ?」
「曹丕様〜。おいらのおやつの『ウ○イ棒 大人買いセット』100個。まだ届かないだかよぉ」
「おい、曹丕。俺の発注した芋焼酎の飲み比べ6本入りが届かんのだが……」
「ようよう。コスチェン用にパッキンに染めんだけど、ブリーチがねぇんだ。知らねぇか?」
「ワシは、日焼けマシンが……」

許可もなく執務室に押し入ってきた一団。それぞれこちらの事情などお構いなしに勝手なことを口にしている。こいつらが一斉にしゃべる好き勝手な内容のほぼすべてが把握出来る。そんな自分がちょっぴりイヤだ。
兎も角、この耳障りな騒音を何とかしたい。
曹丕は、力一杯に机を叩くと怒声を張り上げる。

「貴様ら、喧しいわッ! わたしは『ジャ○ネッ○タカ○』かッ!! Ya○o○!の通販ショッピングの苦情受付かッ!! だいたいなんだ、その補給物質の申請内容はッ!! 貴様ら、軍の資金をなんだと心得ているッ!! そんなに欲しいのなら自分のポケットマネーで買えッ!!!」
「なら、その机も器物損傷で自腹な」

そう甘寧が顎をしゃくる。曹丕はふと、先程まで机があった場所に視線を落とす。と、目に入ったのはかつて机であったであろう木の残骸と散らばった大量の書簡。
怒りの余り、力の加減を間違えたようだ。


     忘れていた。わたしの今のレベルは99だった……


ここ数日の発生し続ける凡ミスの尻拭いで溜まりに溜まったストレスを発散するために、必ず一時間程の軽い運動を日課としていた。結果、現在レベル競争断トツの一位状態を確保するに至ったのだ。
だが、急激な筋力の上昇にコントロールが追いつかなかったらしい。破壊してしまった机を前に「あぁ、仕事が増えた」と溜息を吐く傍ら、早速経費の計算が回転を始める。
しかし、押しかけ一団。そんな曹丕の苦労など露知らず(いや、知っているのかもしれないが、知らないとしよう)、更に曹丕に追い打ちを掛ける。

「だいたい、士気向上の一環として今迄はOKだったではありませんか。ねぇ、皆さん」
「そうですわ、我が君。わたくし、そんなケチくさい男を夫に持った覚えはありません」
「孟徳を見習え。まったく、まだまだだな。イヤ、やはり孟徳に勝る者などありはせん」

いくつか聞き捨てならぬ台詞が耳を過ぎったが、今は置いておこう。これ以上、無駄なエネルギーを消費したくはない。
曹丕は、半眼で一同を見回す。

「黙れ。この執務室の書簡の山を見ても、まだそんな下らんことを云うか。そんな暇はなくなった。貴様ら、士気向上云々と殊勝なことを口にするなら、手伝え」

その言葉が口をついて出た途端、目を逸らす一同。
予想はしていたが、予想はしていたが…………

「フッ、所詮そんなものなのだな」

人間正直が一番と先人は教えを説いたとか説かないとか……。孔子だの孫子などの教えにそんなものがあったかもしれないが、すでに思い出そうという気力も失せた。もし、そんな教えがあったとしても到底それを信奉する気にはなれない。


     嘘でもいい。せめて、手伝おうかの一言くらい云えんのか、貴様らッ!


胸中でそう叫んでみるが、口から出るのは数えるのも面倒になった重い重い溜息のみだった。