可借夜 -あたらよ-
グイと手を引かれたと思ったら、三成はもう左近の腕の中だった。
フワリと微かな髪油と左近の体臭が三成の鼻を掠める。
左近の匂い。
左近の温もり。
夢じゃない。左近のすべてがここにある。
それだけのことで、今までの三成の胸を塞いでいた鬱々とした暗い気分が嘘のように晴れてくる。
左近の息遣いが耳を擽り、左近の声が鼓膜を震わせる。
「殿。『四百四病のほかの病』って云うのはね。『恋煩い』って意味なんですよ」
そう左近が耳元で低く囁く。
瞬間、うっとりと聞き惚れた左近の声。それの意味するところを三成が理解した時、三成は恥ずかしさの余りに顔を隠すように左近の胸に顔を埋めてしまった。
「とーのー?」
左近の手が優しく三成の頭を撫ぜる。
「恥ずかしがっていないで、左近に殿のお顔を見せて下さいよ」
「む……無理だ………」
「左近は殿の綺麗なお顔を拝見したいんですが、殿は左近の顔なぞ見たくはないんですか?」
からかうような左近の口調に、三成はガバッと顔を上げる。
「そ、そんなわけないだろうッ! 俺だって……」
「俺だって?」
ゆったりと微笑みを向ける左近の顔をジッと見つめ、三成は漸くポツリと言葉を紡ぐ。
「…………俺だって、左近の顔がずっと見たかった」
茹でたように耳まで真っ赤に染めながら唇を尖らせる三成に左近は更に目を細める。
大きな掌をそっと三成の桜色の頬に添えて、とかく、面を隠しがちにする朱色の柔らかい髪を掻き上げてやる。
「やっと、顔を上げて下さった。さあ、もっとよく見せて……」
「は、恥ずかしいから余り見るな」
「何を仰る。あぁ、お痩せになりましたなぁ。殿は病で食が進まなかったと見える」
そう云って笑う左近に三成は肩を落とす。
「……病などと……『恋煩い』なんかで、斯様な有様。さぞかし情けないであろう」
「それほど、左近を思うてくださっているのでしょう? 情けないなどと思いませんよ。左近だって、殿を思う余り眠れぬ夜を過ごしたことがあるんですから」
「ほ、本当かッ!?」
思いもよらない左近の言葉に、三成は目を瞠る。
そんな三成を左近はクククと喉奥で忍び笑いながら、三成の細腰に手を回し、もっと自分の方に引き寄せる。
「本当ですよ。遠呂智の元で辛い思いをされていないかとか。曹魏のところでみんなと仲良くやっているかとか。またまた横柄な言い方でケンカなんかしていないかとか、ちゃんとご飯は食べておられるのか……てな具合にね」
そう指折り数える左近に三成は驚いたような怒ったなような微妙な表情を上らせる。
「……それでは、まるで母親のようではないか。お前はいつから俺の母上になったのだ。俺は子供ではないぞ」
「せめて、家臣としてって云ってくれません? それなら……」
ニヤリと口角を上げて左近が笑む。先ほどまでの、見守るような暖かな微笑みから一転、まるで獲物を狙う狩人のそれに似た射竦めるような視線。
ドクン
瞬間、三成の鼓動が早くなる。
「お望み通り、情人としてどのように思い煩っていたのか……。その身で知って頂きましょうか?」
「え?」
腰に廻されていた左近の太い腕に力が込められたと思ったら、あっという間に寝台に押し倒された。