愛の形


世界の敵たる魔王 遠呂智は倒れた。
その夜。三国・戦国の世から集められた英傑・豪傑たちが一同に会し壮観な宴が催された。時空も時間をも超えた宴は、思いもよらない再会をもたらしたのだった。

「信玄公もお元気そうでなによりです。まさか、再びこうして酒を酌み交わすなんざ思いもよりませんでしたよ」
「わしにとっては、おことと酒を飲んだのは、つい先日のことのように思うのじゃがのぉ。おなじ戦国の世からこの地の呼び寄せられたといっても、多少の時間のずれがあるようじゃな」

信玄の言葉に左近は、自分の記憶にある信玄公を思い出す。戦国の世で最後に酒を酌み交わしたのは、「三方ヶ原の戦い」の後だった。その後、この英雄は上洛の途中で病に倒れ還らぬ人となったのだ。病の床で「自分の死を三年隠せ」と必死に遺言をした残した姿は、いまだに脳裏にこびり付き褪せることはない。
その人と再び見え、杯を交わす。何とも奇妙な気分に覆われて左近の眉が困ったように寄る。

「えぇ、そのようですなぁ…………」
「言葉を濁さずともよい。おことがいた時代では、わしはすでに亡き者となっておったのだろう。ふぉふぉふぉ、どうじゃ、蘇った亡者と酒を飲む気分は?」

殊更、愉快げに快笑を上げるのは左近の中に蘇った己の死の記憶を払拭するためなのだろう。何はどうあれ、遠呂智との死闘を潜り抜けて、今確かに生きてい
るのだと示すように信玄は、杯を空け豪快に笑う。
信玄の笑声にあわせて、左近も悪戯っぽく口元を上げる。

「そちらこそ。軍略の師として、成長した弟子の姿は鼻が高いんじゃあないんですか?」
「ふぉふぉふぉ。よう云うわ! 九州での活躍は聞いておるぞぉ。随分と面白い仲間と連んでおったと云うではないか」
「……頼みますから、その話はなかったことになりませんか?」

軍師として思い出したくもない過去の話を切り出されて、左近はげんなりとする。
九州の僻地に飛ばされ、他に宛が無かったとはいえ、今更ながらなんだってあんな連中と組むことになったのか不思議でならない。確かに面白かったといえば面白かったのだが…………

兎も角、久方振りに信玄と飲み交わす酒は旨いし楽しい。
ついつい、互いの軍略のことや今迄に出会った古今の英雄たちについて話し込んでしまった。

―――――

「……って、殿。さっきからなにをやっておられるんですか?」
「別に……」
「別にって……。左近の背は的じゃあないんですから……」

先程から何かが飛んできては左近の頭や背にぽんぽんと当たる。気になって振り返ると、柳眉を寄せて半眼でこちらを睨んでいる三成が、酒のつまみの豆を投げ付けていた。

「うるさい」

三成は不機嫌そうに呟くと、「殿ぉ〜」という左近の困ったような声を無視して尚も豆粒を投げ付けてくる。


     こいつは、信玄公と仲良くしすぎましたかねぇ


酔っているのだろう。唇と尖らす三成の頬が微かに紅い。酒精で常の理性が鈍ったため、構って貰えない嫉妬心を子供染みた所作で素直に訴えてくる。
その珍しい主の甘えに左近の頬が緩む。信玄公もそんな主従を面白そうに見物している。


     信玄公には悪いが、ひとまず退散致しますか


多少、話足りなくはあったがこの後、信玄と話を交わす時間は十分にある。それより、機嫌を損ねた主をどうやって宥めるか。今はそちらの方が気になって仕方がない。
目礼で退席すると信玄に伝えて左近が腰を浮かした時、頭上から華やかな声が振って降りてきた。

「あッ! 左近さんだぁ。やっほぉ〜、ひっさしぶり〜♪」

顔を上げると、目の前に良く見知った小柄な人影が、えくぼを浮かべてこちらを見下ろしていた。

「ご挨拶に来たよぉ。って、この辺、お酒だの食べ物だのが散らかってきったないなぁ。座るところないじゃん」

キョロキョロと辺りを見回して腰を据える場所を探しているのは、呉の名花と謳われる小喬であった。
彼女の突然の出現に自然と左近の眉が曇る。

「なら、座らなくてもいいですよ。挨拶がすんだ……」
「ふぉふぉふぉ。こりゃ、左近。九州の楽しい仲間を無下に扱ってはいかんのぉ」

なんとか彼女を追い払おうとする左近に反して、信玄がニヤリと横槍を入れた。
九州の楽しい仲間たち。それは、左近にとって軍師としての経歴に燦然と光放つ忘れたい出来事であった。
軍師として計算し尽くした計略は、自分勝手な仲間たちの行動のせいでその威力を発揮する前に尽く破れた。挙げ句に気が付けば当の仲間たちはあっけなく敵であったの織田信長に捕縛。結果、孤立無援でひとり大軍と対面する羽目になったという輝かしい戦歴である。忘れたいのも当然だ。
今思えば、なぜ彼女を仲間としようとしたのだろうか。小喬の明るく可愛らしい姿で、兵を鼓舞し勇猛な軍へと変える資質を評価してだが、彼女の猪突猛進でやんちゃな性格を計算に入れるのを忘れていたのが敗因か?
もっとも、彼女自身が好きか嫌いかと問われれば、愛嬌のある彼女を好ましいとは思う。わざわざ挨拶に来てくれた小喬を追い払うような真似はしたくはないが、今はとかくタイミングが悪い。

「余計なこと云わんでくださいよ」と横槍を入れた信玄を軽く睨むが、信玄は素知らぬ風を装って杯を空けてる。その口元が微かに笑っているのを左近は見逃さなかった。
一方、左近に無下にされそうになった小喬は、ぷうっと白い頬を膨らまして左近の髪を思い切り引っ張る。

「そうだよぉ! 折角、おじさんふたりの花のない席に来て上げたんだからね!」
「いてて! おじさんって……」
「ま、いっか。じゃ、左近さん。膝貸して!」

散らかった酒器やゴミを片づけるよりも手早い方法を思い付き、小喬はそれを実行に移す。