干天の慈雨


雨がサラサラと降っている。
朝から降り続く雨は、緑を色濃くする佐和山の山々に恵みをもたらす。そしてその恩恵に預かるのは山々ばかりではない。

「いや〜、折良く雨が降って良かったですな。殿」

満面の笑顔を顔面に貼り付け、中庭に面した縁側に立つ石田家筆頭家老 島左近が振り返った。
その笑顔の先には、こんもりと盛り上がった布の塊が畳敷きの部屋の中央に転がっていた。
――――― と、布の塊と思しきものからくぐもった声が聞こえる。いや、性格には呻き声だ。その呻き声を発する布の塊がモゾモゾと動く。

「うぅ……貴様…嬉しそうだな……」

苦痛の声と共に布の塊 ―――――もとい布団から顔だけを出して、佐和山城城主 石田三成が過ぎたる者といわれる家臣を恨めしそうに見上げる。

「嬉しいだなんてそのような。左近は、本日の雨はまさに殿にとって都合が宜しいですなぁと申したまで」
「……くっ…」
「いやいや、これぞ天の恵み。雨師(雨の神)も粋なことをなさる」
「…左…近。それ以上…言うと…殴る……」
「おや? 左近は何か殿に殴られなければならない様なことを致しましたか?」
「…………ぅぅ」

左近に非など欠片もないことは、「殴る」といった当人が一番よく知っている。反論出来ずにただ唸るばかりである。

「それにしても、取り敢えず雨師の計らいにて、何とか殿の面子は保たれましたなぁ」
「……左近…」
「はい、なんでしょう」
「怒って……いるの…だろう……うぅ…」
「怒られる理由にお心当たりでも?」
「………………」

それも激しく自覚があるため、もはや唸り声も出ない。再び布団を頭から被ってしまう様は、まるで、カタツムリかヤドカリである。
そんな主の姿は、とても佐和山19万石を拝する大名のものとは思えない。
左近はわざと大仰な溜息を吐くと一際大きな声で、

「まぁ、よりによって大事な領内視察を兼ねた鷹狩りの日に「氷菓子」の食い過ぎで腹を下すなんてねぇ。石田治部少輔三成ともあろうお方のなさることではありませんよねぇ」
「さ、左近ッ!!!!! …ッつ………」

左近の声に掛け布団が跳ね上がるが、布団を跳ね上げた当人は痛みの余り床に崩れ落ちる。白い顔を更に白くし額には脂汗が浮かんでいた。

「そんなに慌てなくても、ここには誰もおりませんよ」
「……うぅ」

急に動いたせいで痛みが増したのであろうか。三成は腹を抱え敷き布団に突っ伏したまま動かない。痛みの波が引くのを待つ様に荒い呼吸を繰り返すばかりである。
季節は温み初夏へ向けて暑さを増す時分とはいえ、汗を掻いている身体を冷やすのは良くはない。
左近は、跳ね飛ばされた掛け布団を手に取り、三成の身体を冷やさぬように掛け直そうとしたが、ふと手が止まる。
布団に突っ伏す三成の口から息を吐く様な声が漏れ聞こえたのだ。

「………………ゃ…」
「なんですか? よく聞こえませんよ」
「………わ…や……」
「殿?」

掠れる様な声は聞き取り辛く、左近は怪訝な顔を三成に近付けた。

「殿、どうなさ…………」
「か――――――ッ! その馬鹿でかい図体を退けろッ!!」
「〜〜〜〜〜〜」

顔を近付けたのが仇となった。三成の怒声は、左近の鼓膜を直撃し脳を激しく揺さぶった。一瞬の間、左近の思考が停止する。『キーン』という高音が脳内を駆け巡り、思わず耳を押さえて床に伏す。図らずもその姿は、先程の主人の格好とよく似ていたりする。
更に―――――

「邪魔だッ!!!」
「どわッ!!!!」

という怒鳴り声と共に思いっ切り尻を蹴り上げられる。結果、左近はゴロゴロと部屋の片隅へと転がされたのだった。





耳鳴りが治まり左近が漸く顔を上げた時、既に部屋に主の姿はなかった。少々痛む尻をさすりつつ渡り廊下に顔を出すと、三成がヨロヨロと壁で身を支えながら歩いている姿があった。

「殿、大丈夫ですか?」
「……だ…大丈夫なわけ…なかろう……」

左近は、慌てて三成の身体を支える。蒼白な顔から絞り出された声は、息も絶え絶えといった様子だが、三成は更に言葉を続ける。

「……さ、左近のせいだからな…」
「えっ?」
「左近が……あんなこと…言うから………余計、腹が…痛くなった…んだ」

「それは自分のせい何だろうか?」と胸中で苦笑しつつも、痛みを紛らわせるための三成の稚気と知っていた。

「はいはい。それは申し訳ありませんなぁ。取り敢えず、さっさと厠へ向かいましょうや」
「……言われんで…も……」
「厠に着くまで、もら………」
「煩いッ!! それ以上言うなぁ―――――ッッ!!!」

カラカラと笑いながら左近は三成に肩を貸し、道中を急ぐのであった。










雨はサラサラと降り続く。

「殿」

閑かに障子が開き、雨と湿った土の匂いが鼻腔を掠める。

「韮粥はちゃんと食いましたか?」
「……左近?」
「あぁ、薬もちゃんと飲みましたね。具合は如何です?」
「……だいぶ楽になった」

床に伏していた三成が左近に答えて起きあがろうとするのを手で制止、左近は三成の顔色を窺う。

「お顔の色も大分宜しいな。明日には復調するだろうとの医師の見立てですよ」
「…………そうか」

と答えると、フイッと左近から視線を外してしまう。よく見れば、頬には微かに赤みが差し目尻にうっすらと涙を浮かべている。
体調不良の原因を思い返し、恥ずかしさと情けなさで心中穏やかではないのであろう。


     困ったお人だ――――――


反省をしているのなら、そのことを素直に口にすればいいのに、それが出来ない。こういった場合、こちらが折れて助け船を出してやらねば事態は解決を見ない。

「殿――。左近に何か云うことはございませんか?」
「………………」

だが、三成は再び布団を頭から被って顔を隠してしまう。

「殿……」

再度、子供をあやす様に優しく呼びかけると―――――

「……すまん」

布団の中から聞こえるか聞こえないかの小さな声がする。
そもそも、今回の体調不良の原因は、秀吉から下賜された氷を「秀吉様がくれたものだから」ということで、無理に口にしたことが原因であった。

「今後は、幾ら秀吉様から下賜されたものとはいえ、体調が思わしくないのに無理に食べないで下さいよ」
「……わかった」
「わかれば宜しいです」

とは云ったものの、「秀吉大事」の三成が、無茶するのは目に見えていた。それなのに、それを止められなかったという点では、自分にも非があると左近は思っている。

「まぁ、本当は俺がちゃんとお止めすればよかったんですがね。申し訳ない」

すると、布団から顔を出した三成が驚いた様な顔で左近を見つめる。

「左近が悪い訳じゃないぞ。俺が悪いんだ。だから、左近が謝る必要はない」
「殿をお諫めするという家臣の務めを果たせなかった左近こそ反省すべきです」
「違う。俺が悪いのだ」
「いや、左近の配慮が足りなかったせいで……」
「違うと云っているであろう。体調管理を怠ったのは俺の浅慮だ!」
「いえいえ、左近こそ……」
「だーッ! 喧しいわ!! 今回の件は、全部俺が悪い!!! そう決めた。わかったなッ!!!」

三成は、布団から這い出し左近の胸倉を掴むと子供の様に一方的に怒鳴り散らす。先程まで、しおらしく布団を被って猛省していた様子とは豹変。柳眉を逆立てた様は、まるで怒った猫である。
呆気にとられる左近を無視し「返事はどうした? この阿呆」と立て続けに怒鳴り散らす。

「え…えっと…まぁ、殿がそう仰るなら…殿が全部悪いと云うことで…」
「わかったのなら良い」

左近の返答に満足をしたのか、三成は無造作に掴みかかっていた襟元を離し、再び布団に潜り込む。

「しばし寝る。寝るまでそこにいろ」

そう云うが早いか、そのまま目を閉じる。



やがて、穏やかな寝息が聞こえる。
枕元に座していた左近が、やれやれと小さな溜息を吐く。


雨はもう止んでいた。





fin
2006/06/02


三成は胃腸が弱かったということなので、お腹壊して寝込む殿が書きたかっただけです。
なんか、胃腸が弱いって辺りにちょっとシンパシー