雨景色


雨が降っている。
昨日も今日も一昨日も。
雨に煙る佐和山城の一郭。三日もシトシトと降り続く雨は、優しく庭木を撫で下ろし、存分に大地や草木に潤いを与えている。



「今日も雨か……」

開け放たれた縁側から流れ込む雨と湿った土の匂いを吸い込むと、佐和山城主 石田三成は、むぅっと眉を寄せて曇天の空を見上げる。
座敷と縁側の境に腰を降ろし、柱に背を預けてゆったりと緑に濡れる庭を眺める。なかなかに風流な情景だが、当の本人は微かに唇を尖らせて雨雲を睨んでいる。
どうやら地に恵みを振る舞う雨も、今はこの城主の機嫌を損ねてしまったようだ。
そんな主を見遣りながら、文机に向かっていた筆頭家老の島左近が同じように空を見上げる。

「恵みの雨じゃないですか。よき雨はよき恵みをもたらすものですよ」
「それはそうだが、これでは遠乗りにも出られぬ」
「おや? お珍しい。殿が遠乗りを所望されるとはねぇ」

左近は片眉をひょいと持ち上げると、筆を降ろした。認めていた書が乾くまでのしばしの間、主の座す縁側近くに侍るため席を立つ。

「フン。俺だとて机に齧り付いてばかりいる訳ではないわ。偶には身体を動かさねば、いざ危急の折に秀吉様のお役に立てぬではないか」
「またまた……。お珍しいことを口にされると思ったら、『秀吉様のため』ですか。嘘でもご自分の気晴らしとでも云って下されば、左近も少しは安心致しますのにねぇ」
「主のために身を粉にすることのどこが悪い。左近とて、ここのところ随分と忙しかったではないか」

隣に座し、同じように濡れそぼる庭を眺め遣る左近に一瞥を投げて寄越すと、三成は不機嫌そうに口元をへの字に曲げる。
左近は、クスクスと微苦笑を浮かべながら、己の居室に闖入してきた主に肩を竦め返す。

「左近はいいんですよ。ちゃんと、息抜きの方法を心得ておりますから。殿の方こそ、左近が忙しいのではなどとお気にされるな」
「阿呆。家臣のことを知らぬで主が務まるか。第一、左近は只の家臣ではない。大事な俺の同志だ。気に掛けぬでなんとする」

相変わらずの不機嫌そうな口から出た言葉に左近の相好が崩れる。

「これまた、嬉しいことを。なれば、時期に左近の手が空くこともご存じですな」

左近がチラリと文机の上の書に目を遣れば、三成も得たりと小さく悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「知っているから来たのだ。茶室に来い。茶を点ててやる」
「ならば、庭木の紫陽花をひとつ、頂戴致しましょう。ほら、ご覧なさい。翠雨に打たれて紫陽花も色鮮やかに咲いておりますよ」

嬉しそうに頬を緩める左近に促されて庭に目を転じれば、確かに降り注ぐ慈雨を目一杯受けた紫陽花の青紫色が目に映える。
「そうだな」と三成が小さく答えれば、左近は「では……」と、手ずから紫陽花を一房手折るために雨の中を庭へと降りていった。

「傘も差さずに、阿呆か」
「今日の雨は暖かいから平気ですよ。それにそんなに長い時間、雨に打たれる訳じゃありませんって」
「年寄りの冷や水だ。風邪でも引いても知らぬぞ」
「心配してくださるんなら、後で手拭いでも下さいよ」

三成が呆れたように眉を寄せるが、左近は笑って軽く受け流す。
「仕方のないヤツだ」と、手拭いを取るために三成は、勝手に左近の部屋を探すこととした。




見つけた手拭いを手に、雨曇りの柔らかい光に照る庭を見る。
シトシトと柔らかく降り注ぐ雨の中、花を吟味する左近の大きな背をぼんやりと眺める。
いつも以上に時がゆったりと流れる。

雨の匂い。雨の音。

鼻腔に薫る雨の湿った匂いに「はて、こういう匂いであったか」と記憶を辿るが、多忙な日々は雨の匂いですら記憶から追いやってしまったようだ。
三成はすうっと深く息を吸う。忘れかけていた自然の香気が、ゆるゆると気持ちを解していく。


     たまには、こういうのもよいものだ。


そう三成が思った時――――――



「おや? こいつはぁ……」

楽しげにはねる左近の声が耳に届いた。

「殿。どうです? こいつも茶室にご招待って云うのは?」

そう云って左近が差し出した大輪の紫陽花の一房。その濡れた葉には――――――

「カタツムリ?」

まるまるとした大きなカタツムリが一匹。

「いや、実に見事な城を持ったヤツじゃないですか。こんなけでかけりゃ、佐和山城にも負けませんよぉ。それとも…………」

ニヤッと口の端を上げたと思ったら、左近は軽く握っていた左手を開く。

「殿はこちらの方がよろしいか?」
「へッ? ッ!!」

なんだろうと、その手を覗き込もうとした瞬間に、何かが左近の手から飛び出す。三成の目がその正体を確かめる間もなく、「ゲコ」っという聞き覚えのある鳴き声が聞こえてきた。それも自分の頭の上から…………

「…………カエル?」
「ハハハッ、殿を足下に置くとはねぇ。これまた、剛胆な蛙ですなぁ」
「さ……さこん。子供か、お前は……」

楽しそうな笑声を上げる左近を一睨みするも、己の頭の上に鎮座する蛙の「ゲコゲコ〜」という間の抜けた鳴き声を聞かされると、どうにも力が抜けてしまう。
蛙は三成の頭の上が気に入ったのか、デンと腰を据えて雨乞いの唄を奏で続ける。

「……ふぅ、まぁいい。雨の日の客人だ。精々、もてなしてやる。お前も早く来い」
「殿のお誘いです。勿論、すぐにお伺いしますよ」

手拭いを左近に投げつけ、三成はさっと踵を返して茶室へと向かう。
その背を見送り、左近は仕事の残りを片づけるために文机に向かった。


     やはり、たまにはこんな日もありだな――――――


同時にそう頬を緩ませる主従。
そのことを知っているのは、降り注ぐ優しい雨だけ





fin
2007/06/30


梅雨の時期に合わせて、雨の話を一本上げてみました。
左近は時々、子供っぽいことをするとよいと妄想