【 刻 】
1月、上野寛永寺
―――
不死を誇った魔人が倒れ、東京を暗雲に包み込もうとした男の野望が潰えたかに思えた。
だが
――――
大地は変わらず不気味な鳴動を続けていた。時折、闇を引き裂く雷光が龍を思わせる。
闘いは、まだ終わっていはいなかった。
そんな中、誰もが言葉を失っていた。
重い沈黙が支配する中、自分たちが払った犠牲の大きさに言葉がでない。
そして、俺は……
「如月……」
俺は、それ以上何も言えなかった。
ただ、力なく樹に寄りかかる如月の血の気の失せた頬に、そっと手を添えることしかできない。
真冬にしては、妙に暖かい風が運ぶのは、むせ返る血臭。
それは、如月の華奢な肩口から流れ出る命の証だった。
一瞬だった……。
俺のわずかな隙をついて、白刃が迫る。
避け切れなかった。
12月のあの悪夢が俺の脳裏を過ぎったが、柳生の刃が再び俺を切り裂くことはなかった。
「……たつ…ま…無事…か?」
如月が、薄く目を開く。
「よか…った……」
途切れ途切れに口を開くが、激しい痛みのために苦痛のうめきが零れる。
「喋らないで、如月くん……」
美里が、小さいが鋭い声で如月を制する。
いつも柔和な微笑を浮かべる口元は、厳しく締まり眉間に深いシワを刻んでいた。美里の面に浮かぶ蒼白な顔色は、癒しの力を使い続けた疲労のためだけではなかった。
致命傷だ
―――
誰も口にしない。してはいけない言葉。
そして、誰もが直感的に感じた死の影
―――
そして、それを振り払おうと、必至になって癒しの力を酷使続ける仲間たち。
だが、限界だ。
どうにか出血だけは止めることができたが、流れ出た血は如月の全身を染め上げ、その体の下に血溜りをつくっていた。
そして、柳生の渾身の一撃を受け、倒れそうになった如月を抱きとめた俺の身体をも……。
決めなければならない
―――
東京を護るための闘いは、まだその幕を下ろしてはいない。
全てが手遅れになる前に行かなければ……。
しかし
―――
それは、彼を見捨てていくことに他ならない。
俺は、力なく瞳を閉じた如月を見つめる。
手のひらに感じる如月の体温。
共に戦い続けた仲間。俺にとって彼はかけがえのない
―――
ふと、如月が瞳を開く。
大量の失血のせいで、意識を保つことすら困難なはずだった。
しかし、俺を見つめ返す彼の瞳には、凛とした輝きが宿っている。その輝きは、俺の迷いを見透かし、そして……彼の思いを……決意を真っ直ぐに伝えてくる。
「なにを……して…いるんだ…」
言うな……頼むから……
「は…はやく…」
それ以上、言うなッ!
「はや…く、行くん……だ」
――――― ッ!
「龍麻ッ!」
――視界が歪む。
――言葉が出ない。
――胸が苦しい。
彼を置いて行かなきゃならない。でも、置いて行けない。行きたくない。
どうしなきゃならないか、わかっている。それなのに、できない。頭で理解できても、心が動かない
―――
俺は俯いたまま、こみ上げてくる感情を必至に押し殺す。
……感じるのは手のひらから伝わるただ一つの温もり。
ほんの数瞬が、何時間にも感じられる。
不意に、麻痺したように動かない俺の頬に暖かいものを感じる。俺は恐る恐る顔を上げる。
―― と
如月の手だった。
こみ上げた涙を拭うように、優しく俺の頬を包む。
俺を見つめる彼の瞳は不思議なほど穏やかで、それでいて少し困ったような……
そして、彼は小さく呟くように、
「……僕のためを思うのなら……行ってくれ…龍麻。……たのむ…よ」
ずるいよな、お前……。ぜってぇ、断れねェじゃんかよ……こんなの……
最初で最後の
―――
俺は、笑う。
彼の目に焼きつくように。俺の笑顔が、好きだっと言っていたから。
「…わかった。だから…………」
最後の言葉は、彼だけに聞こえるように。
彼も答える。俺だけに聞こえるように。
最後の約束を
―――。
俺は、ゆっくりと立ち上がる。
誰も何も言わない。
俺は振り返る。
「行こう」
今は振り返らない。約束を果たすまでは……。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
大地の鳴動が止んだ。
夜空を覆っていた黒い雲も消えて、冬の星座が見える。東の空が微かに白んできたところを見ると、もうすぐ夜明けか。
……? 寒いと思ったら雪か?
そういえば、彼は雪が好きだって言ってたっけ?
確か、この樹は桜だったよな?
……こうして見ると、まるで桜の花びらのようだな。
本当に、寒くなってきた。
まったく……。君は、僕がこう見えても寒いのが嫌いだと知っているくせに、いつまで待たせるだい?
ちゃんと、言っただろ? 僕は……
『…わかった。だから、待ってろよ、翡翠。……絶対、待ってろよ』
『な…ら、手早く……片を…つけるんだ…ね……。僕は…気が長いほ…う…じゃないか…ら…』
fin