【 静夜 】


「すっげぇ、荷物だな…」

夕方――――
珍しく、退屈な授業を最後まで聴講した村雨の、如月骨董店の暖簾をくぐった第一声。

「閉店の札が、かかっていただろ?」

店の主は、振り返りもせずにそっけなく答える。

「オレが、閉店後に来るのは珍しくもねぇだろが…。それより…」
「悪いが、見ての通り忙しいんだ」

店のいたるところに置かれているダンボールの山。
ただでさえ、骨董であふれ返っている店内は、ほとんど足の踏み場がない状態になっている。

「仕入れか?」
「だから、忙しいと言ってるだろう。用がないなら帰れ」


     相変わらず、可愛げがねぇ奴…。


予想通りの答えに思わず苦笑する。

「用なら…今できたぜ」

村雨は、怪訝そうな顔をする如月に向かってウィンクをすると、白いガクランを脱いで手近なところに置いた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



数時間後――――
時計の針は12時を回っていた。
店を埋め尽くしていたダンボールの山は、すっかり片付けられ、後は店に置くために残した品を陳列するだけである。

「ありがとう。助かったよ、村雨…」

遅い夕食後、食後のお茶を出しながら、如月が呟くように言う。
うっかりしていたら、聞き逃してしまうような、小さな声――
そう言うと、如月はすぐに台所に行ってしまった。


     あいつの口から、『ありがとう』ね……。


一人、部屋に残された村雨は、いつもの煙草を吹かしながら、如月が去っていた先を何となく見やる。
如月との付き合いは、結構古い方だ。
だが、彼の口から『ありがとう』、なんて言葉を聞く事はなかった。
それどころか、今日のように人の手助けを素直に受ける事もない。
息を深く吸い込むと、天井に向かってゆっくりを吐き出す。紫煙が揺らぎながら、消えていく。


     変わったな…あいつ……。


理由はわかっている。
高校最後の夏休みに出会った、真神の転校生――緋勇 龍麻。
彼との出会いが、如月を変えた。
自分が越えられなかった一線を、そいつは簡単に越えてしまった。
どうやら自分は、まだ見たこともない人間に対して、嫉妬まがいの気持ちを感じているらしい。


     ……らしくねぇな…。
     まッ、いい方に変わってるから、良しをするか…。


如月を変えることが出来なかったことよりも、彼が変わったことを素直に喜ぼう……。
そう思考を切り替えると、思わず笑みが零れる。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「何、ニヤけているんだ、お前は…」

見ると、如月がお茶請けのミカンを籠に入れて戻ってきた。

「イヤね…お前から『ありがとう』、何てお言葉を頂いて感動してんだよ」

村雨は、見上げた目をからかうように細める。
瞬間、如月の白い顔が赤くなった。目線をそらして、ポツリと口を開く。

「……馬鹿か、君は」
「馬鹿はねぇだろ。人使いの荒い、鬼店主にこき使われても、『ありがとう』だけで満足してんだぜ」
「僕が頼んだわけじゃないッ!」

ドンッ! とミカンの入った籠を、炬燵の上に置くとそのままそっぽを向いてしまう。
その拗ねたような子供っぽい態度が、なんとも可笑しくて、村雨は声を押し殺して笑った。

「何が可笑しいッ!!」

キッと村雨を睨みつける。


     照れてやがんの…


とうとう、村雨は堪え切れずに大声で笑い出す。

「し、失礼な奴だなッ! 一体、何が可笑しいんだッ!!」

耳まで真っ赤になりながら、如月が怒鳴る。
これも…今までにはなかったことだ。

ニヤリと人を食ったような笑みで、村雨が切り返す。

「教えてやんねぇ」
「なんだ、それは?」
「言ったら、つまんねぇだろ?」
「何がつまらないんだか……」

如月は、小さくため息をつく。そのまま、机に肘をつき、あごを手のひらに乗せた姿勢で、村雨を横目で見やる。

「変な奴…」
「お蔭様で」

軽く憎まれ口を叩く。
如月はそれ以上何も言わない。
二人の間を静かな時間が流れる。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「……村雨」

不意に、如月が口を開く。

「ん?」

煙草を燻らせながら、村雨が疑問を投げかける。

「僕は…変わったかな?」

如月は、さっきと同じ姿勢のまま尋ねる。
だが――――
視線は、秋の草花が咲き始めた庭に向けられているため、表情を読み取る頃は出来ない。

再び、沈黙が空間を支配する。
吸い口近くまで灰になった煙草が、時間の経過を静かに告げる。
――――と、重みに耐え切れず、灰が畳に落ちる。

「あッ!?」

そして、小さな叫び声が、刻の止まった空間を動かした。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「……ってなァ…」

憮然とした顔の村雨が、上目遣いで低く唸る。
頭を抱えているところを見ると、如月に一発お見舞いされたらしい。


     ……ったく。容赦って単語をしらねェ奴だな……。


ふて腐れた顔で自分を見上げる村雨に向かって、如月は渋面で応戦する。

「当たり前だッ! せっかく新調した畳に、焦げ跡が残ったらどうするつもりだッ!! だから、ここで煙草を吸うなと、あれほど僕が…」
「あ――― ッ! 俺が悪かったよッ!! でも、汚れてねぇんだからいいじゃねぇかよォ」

村雨が、長くなりそうな如月の説教を遮って喚く。

「良くないッ! 君って奴は、少し甘やかすと、どこまでもつけ上がるんだから…。ここで、きっちり 反省してもらわなくては、困るッ!!」
「スマンッ! ゴメンッ!! 反省してるッ!!!」

如月の勢いに押されて、村雨は心にもないことを口走る。

いつものやり取りとは違う雰囲気。
それを、心のどこかで楽しんでいるのを、村雨は自覚する。
どうやら、如月も同じ事を感じているようだ。
フツリと会話が途切れると、お互いの顔に苦笑が浮かんだ。

「……どうせ、反省なんてしてないんだろ?」

呆れたような口調――。だが、声音に非難の色はない。

「してるよ…」
「本当かな?」

今度は揶揄するような口調を村雨に投げかける。

「はいはい、疑り深いヤツだな。だったら、反省ついでに、明日の棚卸も手伝ってやるよッ!」
「それは、助かったよ」

如月が微笑む。
いたずらが成功した子供が浮かべるような、人の悪い笑み―――


     これは、ひょっとして……


見事、如月の誘導に乗ってしまったらしい。


     一言、頼むって言やぁいいのによ…。


「そういうトコは、変わんねェんだからな」

ため息交じりに、村雨が独り心地で呟く。

「何か言ったかい?」

如月が振り返ると、悪びれもせずに、

「言っておくけど、文句は受け付けないよ。君が言い出したことなんだからね」

と、言ってくる。

「わぁーったよ。それよりも、今夜はいい月夜だ。どうだ、一杯付き合わねぇか?」
「そうだね…。だけど、飲み過ぎて明日の作業に差し支えたら困るから、今夜はダメだよ」
「…チッ、仕方ねぇな……。それじゃ、酒の代わりに上手い茶でももらおうか」

眉間にしわを寄せて、ふて腐れる村雨。そんな彼を横目で見ながら、如月が微かに笑う。

「フッ…。じゃ、熱いお茶を飲んだらさっさと寝てしまえ」

如月は、静かに立ち上がると、村雨に取って置きのお茶を淹れてやるために立ち去って行く。

戦いの狭間のこの日常の空気が、少しずつ変わっていく。
村雨は、再び煙草に火を点けながら薄い煙を吸い込む。
部屋に戻って来た如月が、どんな顔をするのか――
そんなコトを考えながら、秋の月を見上げた。





fin