「お買い物」


それは、こいつの一言から始まった。

「あっ!? 洗剤が切れてる」

いつものようにオレは、如月の家で朝飯を終え、食後の一服に紫煙を燻らせていた。
如月は、食後の後片付けのために台所へと向かったのだが、どうやら台所用の洗剤が切れていたらしい。

「えっと……買い置きはっと……」

ぶつぶつと独り言を言いながら、如月が廊下を横切って物置へと向かう。
すると―――

「あれ? 買い置きがない……」

物置の方から如月の間の抜けた声が聞こえてくる。
あいつがこんなミスをするとは珍しいな。
『いつ何時必要になるかわからない』と言って、食料品やら生活必需品の買い置きを欠かしたことはない。かといって、無駄な買い物を嫌うので、必要分を必要なだけきっちり計算して購入する。
そういえば、ここのところ、鬼道衆との闘いだとか旧校舎潜りだとかで、やたら忙しいとかって言ってたっけ?
まぁ、台所用洗剤のひとつやふたつ、近所のコンビニにでも買いに行けば済むことだ。
オレは、そのまま畳の上にゴロリと横になって、新聞なんぞを広げる。別段、社会情勢やら政治やらに興味があるわけじゃねェ、ただテレビ欄が気になっただけだ。
今日は秋月の仕事もねェし、今更学校に行く気もねェ。まぁ、一日ゆっくりとさせてもらおうか。なんだか、休日の中年親父みてぇだが、たまにはいいかぁ。

ゲシッ!

「貴様…何をしている?」

オレは、そのまま強制的に畳とキスをする。如月が、オレの後頭部を足蹴にしてやがるのだ。しかも、グリグリとオレの頭を畳に押し付けてくる。
反論しようにも、如月のヤツが思い切り体重をかけてくるうえに正面から畳に突っ込んでいるため、息すら出来ない。
自慢の高い鼻が、横にひしゃげてすっげェ痛い……。
オレは痛みと息苦しさのあまり、手のひらを畳に叩きつけて、ギブアップをアピールする。すると、如月はようやく足を下ろした。

「翡翠ッ! てめェ、何しやがるッ!!」

開放された頭を勢いよく上げて、オレは畳に座り込んだまま若旦那に抗議をする。畳に押し付けられた鼻が、赤くなってヒリヒリと痛む。

「フッ。休日でもないのに、みっともなくゴロゴロするなッ! 第一、ここは僕の家だ。朝からだらしなく寝転がっているなら、学生らしく学校にでも行けッ!!」
「よく言うぜッ! 学校を自主休校しているのはお互い様だろうがッ!!」
「僕は店が在るから休むんだ。それに、出席日数は足りるように調節している。牛よろしく、食っちゃ寝している君と一緒にしないでくれッ!」
「誰が牛だッ! 人の頭を足蹴にしておいて、言うセリフかッ!!」
「人に身の周りの雑務をさせといて、文句を言うなッ!」

……そ、そればかりは、反論できねェ。
確かに、如月ン家に入り浸るようになってから、食事や洗濯などの家事一般は、こいつに任せきりのような気がする。というか、完全に依存している……。最初は、麻雀ついでに泊まる程度だった。今は、秋月の仕事がないときや歌舞伎町に繰り出さないときは、ほとんどこの家にいる。
反論できずに黙り込むオレを如月は面白そうに見下ろす。
こいつ、内心で『勝ったッ!』と、思っているに違いねェ。
口元に余裕の笑みを浮かべて、如月が口を開く。

「もう、文句はないね?」

どことなく、子供をあやすような雰囲気を滲ませて、如月が口を開く。
そんな如月を見上げて、オレは小さなため息をついた。

「へいへい……。オレが悪かったよ。んで、何か手伝う事でもあるのか?」

結局、オレは如月には勝てないってことらしい。

「うん。実はね……」

ニコリと笑って如月は、俺に一枚のメモを手渡す。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



時刻は、もう昼過ぎ。そろそろ、誰もが空腹を覚える頃だろう。それは、オレとて例外ではない。
オレは、両手いっぱいの紙袋を何とか抱えなおすと、如月骨董店を目指して足早に道を急いだ。
如月に手渡されたのは、買い物のリストだった。自分は店番やら、家事などで忙しいからこれを買って来て欲しいと渡されたのだ。
メモには、洗剤やら石鹸などの生活必需品の名が連なっていた。しかも、どれも買い置き分を入れて3、4個ずつ購入するようにと、指示されている。
しかし、一応一人暮らしの身には ――まぁ、オレを入れてふたり分だとしても―― 少々多いのではないかと思って、如月に聞いてみると、

「最近は、そういうものの消費が激しくてね。みんな……ここによく来るから…。いいのか、悪いのか…まったく」

どことなく、照れ臭そうなのは、俺の気のせいじゃねェだろう。なんだかんだと言って、集まって来る連中の世話を焼いてやるのが、楽しみのひとつになっているようだ。
人嫌いを装って、仏頂面しているより、ずっといい。
それにしても、重いぞ、コレ……。如月め、ここぞとばかりに買い込むつもりだったんだな…抜け目のないヤツだ。
仕方ねェ。せいぜい、上手い昼飯でも食わせてもらうとしようか。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「やぁ、お帰り」

店番をしていた如月が笑顔で出迎える。帳台の横には、淹れたての湯飲みが白い湯気を立てていた。

「結構、優雅だな……。家事で忙しいんじゃねェのか?」
「やれるコトは全部やった後だよ。残りは、君が買出しから帰って方と思ってね。どうだい、たるんだ身体にはいい運動だっただろう?」
「日頃の運動なら、十分すぎるほど足りてるぜ」
「どうだか…。ずいぶん汗をかいてるよ」

如月がクスクスと小さく笑う。

「ッたり前だっつーのッ! 見ろよ、この荷物ッ!!」
「それは、悪かったね。ご苦労様。お昼の用意はできてるよ」

スッと如月は立ち上がると、オレの方に顔を向けながらニコリと笑う。確かに、台所から漂ういい匂いが、さっきからオレの胃を刺激してたまらない。
オレは靴を脱ぐのもそこそこに上がりこんだ。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



昼食後―――
オレは、如月が入れた茶を啜りながら、テレビをボンヤリと見ている。如月の方は、オレが買い出した品の整理のために、席を立っていた。

「…あれ?」

また、物置の方から如月の驚きの声が上がるのが聞こえた。


     なんか買い忘れたっけ?


オレは、頭の中で買い物リストと買った品物の内容を比べる。


     ……買い損ねたものはねェはずだけどなァ。


すっかりぬるくなった茶を口の含みながら、もう一度リストを整理してみる。
どう考えても、買い漏らしはねェはずだ。
気になって、物置の方に向かおうとした瞬間、如月が茶の間に戻ってくる。手には、ピンク色の詰め換え用の洗剤を持っている。
如月の顔には、笑いを堪えているような呆れているような、複雑な表情を浮かんでいる。
そして、如月はオレの目を見据えながら、手に持った洗剤を突き出す。

「これは何だ? 村雨……」
「なんだって……」

渡されたリストを思い出しながら、オレは答えた。記憶力はバッチリだから、間違いはねェ。

「洗濯用の洗剤だろ? アクロンだっけ?」
「違うッ! よく見ろ、バカッ!!」


     ……はい? 違う?


オレは慌てて如月の手から例のブツをひったくると、よく観察してみる。
如月から見ると、オレが眉間にシワを刻みながら洗剤と睨めっこしている風に見えるだろうな。……なんか、かっこわりィ…。
さて、改めてよくみると袋には、こう書いてあった。

『ソフラン』

「……」
「……ま、間違えたみたいだな。ハハハ…す、すまねェ。でも、あれだろ? 洗剤であることにゃあ、変わりねェんだから…なッ!」
「お前…どこに目をつけている?」
「はッ?」
「それは、柔軟剤だ」

如月は、冷ややかに言い放ちやがる。
ひょっとして、怒っているのかとオレが心配して顔を覗き込んだ途端、如月は肩を震わせて笑い出す。必死に喉の奥で声を殺さなければ、きっと大声で笑い転げているぞ、コレは……。

「ま…まったく……君は…。洗剤と…柔軟…剤との区別も…つかないのかい?」

クックックと、まだ笑いつづけてやがる。そんなに、可笑しかったか?
まぁ、たまにはいいか。こんな珍しいものが拝めるたァ、運がいい。
もっとも、この後、洗濯洗剤を買いに走らされるのを覚悟しなけりゃならないがな……





fin