Brother!


その日、僕の心は、それを象徴するかの如く垂れ込めてた曇り空のようだった。
やり切れない思いを胸に、新宿の街をフラフラとあてもなくさ迷い歩く。
相変わらず人でごった返す街の雑踏。大勢の人間に囲まれながらも、孤独が身に染みる。
特に、今の僕にとっては、それはまるでじわじわと人を死に至らしめる毒液のように感じられた。
なのに、僕はここにいる。
自分自身を打ちのめすかのようなこの街でなくても、この空虚を癒すために相応しい場所はきっと他にもあったはずだ。
この街に来たその理由。それは……
彼がこの街にいるから――
彼に会いたければ、素直に会いに行けばすむことだ。だけど、連絡を取る方法はいくらでもあるはず。なのに僕はそれをしない――もっとも、彼は未だに携帯電話という文明の利器を手にしてはいなかったが――
僕の手は、彼の部屋のナンバーを回す事を拒絶した。


     ――― これは、迷いだ。


彼は僕のこんな下らない話も黙って聞いてくれるだろう。
そう、下らない話だ。ドラマや小説、そこら辺の立ち話の中にもあるごく平凡で下らない話。
まさか、その下らない話が、僕をこんなにも苦しめる事になろうとは……。


     だから―――


彼と会って話がしたい。だけど、話したくない。
話せば、自分のもっとも弱い部分をさらけ出しそうで怖かった。
それでも、自然とこの街に僕は来た。
偶然に彼と会えるという確立は、この人の多い街では万に一つだ。
そして、僕は賭けた。
彼に会えたら、この胸の痛みを打ち明けようと―――


     でも、もし会えなかったら?


背筋がゾクリとした。突如沸き起こった不安感が、身体を支配しその場に凍りつく。
世界から隔離されたかのように、周囲の雑音が遠のく。
このまま、倒れるのではないかと思った瞬間、不意に暖かいものが肩を優しく包むのを感じた。

「よッ! どうした、紅葉?」

耳に流れ込む言葉が、僕と世界を繋いだように思えた。
会いたかった人物が目の前にいる。
さっきまで身体を支配していた不安に代わって、全身に安堵が広がる。

「君に…会いに来たんだよ。龍麻」



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



俺は今、壬生と二人で喫茶店の奥のテーブルで向かい合って座っている。
可愛らしいウェイトレスが、注文を取りに来る。
俺も壬生もコーヒーを注文すると、ウェイトレスは一礼してその場を去って行った。


     さて―――


「俺に会いに来たって? 何かあったのか? 顔色が悪いぜ」
「……龍麻。僕はどうしたらいいんだ」

悲痛な壬生の声が、小さく空気を震わす。だが、壬生は次の言葉を紡ぐことなくそのまま黙り込んでしまう。


     どうしたらいいんだって……。ンな事、オレに言われてもさぁ……。ひーちゃん、困っちゃうよ……。


俺は内心の困惑を顔に出さないよう極力努めながら、壬生に先を促す。

「紅葉…お前、なんか悩みでもあるのか? なんたって、俺たちは表裏一体! 一心同体ッ!! 遠慮なく相談してくれッ!!」

黄龍パワー全開で笑顔を振り撒く。
うッ!? しまった…。パワーが強すぎたのか、周りの関係ないヤツらの注目まで浴びてしまった(困)。
ぎゃあ、おっさんッ! 顔を赤らめてこっちを見るなッ!!

「……ありがとう、龍麻」

俺様の笑顔が効いたのか、ようやく壬生が口を開く。
俺に心の内を話せることに安心したのか、顔色も落ち着いてきたようだ。さすがだぜ、俺様ッ!

「こんなことで、君に迷惑をかけてすまないと思っている……。だけど、他に話せる人を思い浮かばなかったんだ……」


     くぅぅぅ〜、俺様だけとはッ! 泣かせるぜ、紅葉ッ!! すまないなんて、とんでもないぜ♪ いつでも、カモ〜ン♪♪


「……じつは……如月さんのことで……」

搾り出すように壬生の口からでたのは、俺様ランキングの中でも美人度No1を誇るマイラヴァーの名前だった。

ゴンッ!

「……龍麻?」

盛大な音を立ててテーブルに突っ伏す俺。突然の不信行動に驚いた壬生は、言葉を失って俺を凝視している。


     いい…。もう、何も云うな紅葉……。


俺は、白く燃え尽きそうな意識を何とか保ちつつ、テーブルと衝突した額をのそりと上げる。そして、深いシワのよった眉間に軽く右手を当てて、ゆっくりとかぶりを振った。ついでに肩を竦めてため息を一つ ―――
俺の奇矯な行動に、壬生の顔面が引きつるのが、見なくてもわかる。
気分を落ち着けようとしてか、壬生は目の前に置かれたコーヒーカップに口をつけ、一気に飲み干す。って、いつの間に注文したコーヒーが来たんだ? それより、お前熱くはねェのか?
俺の視線が、コーヒーカップに注がれているのを見て取って、半眼の壬生が、

「君が芝居がかった妙な動作をしている内にウェイトレスが置いて行ったよ……。あんまり変な氣を撒き散らさないでくれ、龍麻。さっきから好奇な目で見られているような気がする」

いつもどおりの冷静さを取り戻したようだ。声に少々剣呑な雰囲気が混ざっているのは、あえて無視する。

「そうか? まぁ、細かい事は気にするな、紅葉」
「……それは、おいといて……。僕の話を」

とりあえず、当初の目的を果たそうと壬生が口を開く。が、俺は即座にそれを手で制する。

「…? 龍麻…僕の話を…」
「云うな、紅葉ッ! 云わなくても俺にはもうわかっているぞッ!! そりゃあ、ショックだったろうな……。キスか? それとも痕の方? ひょっとして、やっちゃってるトコかッ!? あぁ、そりゃ、気の毒に……。相手が相手だもんなァ。お前、絶対勝ち目ないてッ!」

ズゴンッ!

今度は壬生がより派手な音を立てて、テーブルと仲良くしている。

「結構、ノリいいな。紅葉」

俺は、少しぬるくなったコーヒーをズズッと啜る。
ぶつけた勢いが強かったのか、目尻に微かに涙を浮かべながら、壬生が悲鳴じみた声を上げる。

「た……龍麻ッ! なッ、なんてコトをッ!?」
「違うのか? んじゃ、告白して思い切り振られたのか? ……イヤ、あの箱入り忍者のことだ。告白されてもそれに気づきもしなかったってところかな」
「……」
「図星〜♪」
「あ、あの人の邪魔さえなければ……」

心底悔しそうに呟く壬生。その瞳は、思いの届かぬ彼の人の面影を追っているかのようだ。……う〜ん。俺って、ポエマー。
それにしても、村雨のヤツ、一体何をしたんだ? ……大体予想はつくけどな(呆)。
俺は、あの博打打の不遜な笑みを思い出し、壬生への洪水のような同情を感じ、密かに嘆息する。
どういった経緯であったのかはまぁ、置いてといて……
はっきり言って、壬生の立場は非常に悪いだろうなぁ。圧倒的不利と言った方が正解か。
この黄龍様ならともかく、あの村雨から如月を奪うのは、壬生では荷が重いだろうな。

「村雨が邪魔したってしなくたって、無理だ。さっさとあきらめろ」

この場合、はっきり断言してやるのも親切というものだ。

「俺なら落とす自信はあるが、まぁ、無理に夫婦仲を壊すのも気が引けるから止めとくとして……」
「……君のその根拠のない自信はどこから来るんだ」

壬生が疲れたようにうめく。がっくりと肩を落として、空になったコーヒーカップを虚ろな目で眺めている姿には、哀愁が漂う。
もしかしたら、相談する人選を誤ったと後悔しているのか?
だが、お前の明るい未来のためには、この緋勇龍麻、協力は惜しまないぜッ!!

「まぁ、人生には失恋はつきものだ。この際それを糧に、新たなスタートを切ってみてはどうだ?」
「…………で?」

切れ長の形のよい目一杯に不信と若干の怒りを詰め込んで俺を見返す壬生の声は、完全に冷え切っている。
酷いぞッ! 紅葉ッ!! 俺はこんなにもお前のことを思っているのにッ!!?(号泣)
仕方ない。こういうとき、この黄龍のカリスマ・パワーだッ!
俺は、壬生から顔をそらし少しだけうつむく。うつむき加減は左斜め45度に設定。ポイントは自然と前髪が目にかかって、表情を読み取りにくくすることだ。
そして、トーンを落とした低めの声。

「……そんな目…するなよ、紅葉…。確かに、まだ振られたと決まったわけじゃない。けど……」
「けど?」
「やっぱ、勝ち目はない……と思う」
「龍麻……。君は…村雨さんの味方なのか?」

誰が、あのオヤジの味方だッ! はっきり言って、ヤツは俺様ハーレム計画(?)にとっては邪魔な存在だぞッ!! できれば、滅殺したいに決まっている!
壬生の言葉に深く傷つく俺の繊細な心(泣)
しかし、壬生の気持ちもわからんでもない。もし、言われたのが俺だったら、言ったヤツは今ごろ黄泉路を下っているだろうな。
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。

「そんなコトあるわけないだろ?」

俺は、うつむき加減の顔をほんの少しだけ上げて微笑む。
その瞬間、俺の目と壬生の目が向き合う。
よし、いまだッ!!
俺は瞳に氣を込め、壬生を見るめる。
切り取ったような無音の世界が、俺と壬生を取り巻くのを感じる。長いようでいてほんの瞬きほどの短い時間。
再び、喫茶店のざわめきが周囲に戻ってきたとき、壬生の頬に微かな赤みがさすのが見えた。
フッ……勝利。では、とどめだ。

「俺はいつだって、お前の味方だよ……紅葉」



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



僕は今、帰宅する人々に紛れながら、家路を急いでいる。
心を支配していたつらい思いは未だにそのしこりを残していたが、龍麻と会うことによって、だいぶ楽になった。

「お前には、村雨から如月を奪う事は出来ない」という、彼の言葉が氷の刺のように突き刺さってはいるが、溶けない氷はない。

龍麻を取り巻く優しい氣が、この冷たい刺を溶かそうとしてくれている。

「俺はいつだって、お前の味方だよ」

乾いた砂漠が恵みの雨を受けるように、龍麻の言葉が心に染みた。

「フッ……僕も存外情けないな……」

如月さんのこと、龍麻のこと。僕を取り巻く様々な思いに傷つき、癒される。
冷たさを増した寒風に耐えかねて、コートのポケットに手を入れる。と、不意に手に紙の乾いた感触を感じる。
別れ際、龍麻が僕に寄越したメモだ。

「ほら、これ! ロンリーな君に素敵なプレゼントさ♪」

満面の笑みを浮かべた龍麻に渡されたメモには、電話番号が丁寧な字で書かれていた。

「これは?」
「彼氏募集中の17歳♪ 好みのタイプはストイックな寂しがり屋さん。ちょっと、家事が苦手なので、一緒にお手伝いしてくれるような男の子がいいな〜」
「……はぁ?」
「TELしてみろよ。別に浮気するわけじゃないんだし、ひょっとしたら別の道が開けるかもしんないぜ」
「龍麻……でも、僕は……」
「お前がそんなに器用なヤツじゃない事くらいわかってるよ。でも、なんにでも息抜きは必要だと思うんだ。それに、そのナンバーは俺の知ってる娘のヤツだから、変な心配はしなくていいよ」

そういうと、龍麻は僕の手にメモを押し付け、そのまま行ってしまった。去り際に、必ず電話しろよと、念を押すことを忘れなかったのは、僕を心配してのことだろうか?
困った僕は、とりあえずコートのポケットにメモを仕舞い込み、帰途についたのだった。

僕は人の流れから離れ、静かにメモを開く。


     そういえば、このナンバーは龍麻の知っている娘のモノだといっていたけど……


不意に長い栗色の髪の少女の面影が、脳裏をよぎる。
儚げな微笑を浮かべる白い顔に胸がざわめくような気がした。


     まさか……


僕は街角の隅に佇み、メモを見つめる。無意識の内にコートの左ポケットに入れていた携帯電話を握りこんでいたらしく、冷たいはずの金属はほんのりと暖かくなっていた。
僕はそれを取り出し、刻々と移り変わる液晶画面のデジタル時計を眺める。
時計の表示が切り替わった瞬間、僕は思い切ってダイヤルをプッシュする。
電子で構成された呼び出し音が鼓膜を震わせ、僕は自然と数を数える。……2秒…3秒……カチャ。

「もっしもーーしッ! やっぱ、紅葉かぁ? そろそろ、かけてくるころだと思ったよーん。さすがわ、運命の双子といったところか。俺たち息ピッタリじゃんッ!!」
「……」

思わず、僕は携帯から耳を離してうめく。
電波を通しても感じる圧倒的な黄龍パワー(?)のせいで、耳が痛い……。

「どうした? 電話に出たのが俺で、嬉しくて感動してんのかぁ? くぅぅ〜、可愛いやつめッ!」
「違うッ! 断じて違うッ!!」

携帯に向かって思い切り怒鳴りつける。離れていても十分聞こえるので、トランシーバーのように耳から離している。でなければ、僕に鼓膜が破れるの必至だ。
さて、とうの龍麻はというと……

「えぇ〜〜、嬉しくないのぉ。素直じゃないな、お前……」

などと、のたまう。あきれるというか、なんというか……余りのことに、脳が考える事を放棄しようとするが、そういう訳にもいかない。

「嬉しい、嬉しくないの問題じゃないッ! 何で、君が出るんだッ!?」
「だって、これ俺の携帯だもん♪」
「……」


     なんだって? 君……今なんて云ったんだい?


「……龍麻?」
「だーかーらぁー、これは天下無敵の時代の主役、黄龍こと緋勇龍麻様の携帯だってッ!」


     龍麻の携帯? じゃあ……じゃあ…アレはッ? 一体、あの帰り際のあの言葉はッ!?


「だッ、だって…龍麻…君」

僕は混乱した頭の整理を必至でつけようとするが、どうにもなりそうにない。周囲の人目を気にする余裕など、吹き飛んでしまった。
僕は、携帯に向かって喋り続けるが、どうやらほとんど言葉になってないらしい。
あぁ、人様の目が冷たい……。
かろうじて残る冷静な部分の残骸が、そう判断する。しかし―――

「あぁ、“彼氏募集中の17歳♪ 好みのタイプはストイックな寂しがり屋さん。ちょっと、家事が苦手なので、一緒にお手伝いしてくれるような男の子がいいな〜”って、俺のことだよ〜ん」

僕の中である感情が頭をもたげ始めてきた。

「じ、じゃあ…じゃあ……」
「はっはっはッ! お互いの利害が一致したなッ! これから、よろしくなマイハニー♪」
「利害ッ!? 一致ッ!? 何を言っているんだッ! 君には美里さんがいるじゃないかッ!! 他にも、高見沢さんやら藤崎さん、織部姉妹ともデートしたって言っていたなッ! そのうえ、蓬莱寺や劉とかも守備範囲に入っているようだし……って、まさか如月さんにも懸想してるんじゃッ!!!?」
「よくわかったな。やっぱ、通じ合ってる?」
「如月さんのことは別として、全部君が自慢げに電話してきたことだろうがッ!!!」

さらにその感情は強くなった。本来、冷徹な暗殺者にあってはならない感情――
その感情を抑えようと、握る携帯電話に力が入る。あぁ、携帯にヒビが……。

「そうだっけ? まぁ、俺の包容力は無限大だから、安心しろよ」
「……龍麻……僕を騙すようなことをして、ただで済むと思っているのかい?」
「なぁに、愛があれば大丈夫♪ 愛してるよ、くれ……」

通話は切れた……というより、切った。
手の中には、かつて携帯電話であったものの残骸が薄い煙を上げていた。
僕は、それを近くのごみ箱に投げ捨てて、踵を返す。


     このままでは、僕の貞操の危機ッ! この際、黄龍だろうがなんだろうが、とりあえず殺るッ!!


僕は、抑えきれない感情−殺意−を胸に龍麻のマンションへと走った。



突然、電話が切れた。
恐らく、遊ばれたと知って怒り心頭なんだろうなァ。
まぁ、普通は怒るわな。特に、マジメで不器用なヤツ程その反動は計り知れない。

「とりあえず、部屋を片付けるか……。あッ!? 確か、雨紋からせしめたワインがあったなァ。それと……」

壬生が来るまでの数十分間、新しい作戦画策するには十分だ。
俺は、勝利を確信して、ニヤリと笑った。





fin


友達とのカラオケ中に「B'zの『Brother』が主壬だよねー」という話が元ネタ。
でも、未だに「主壬」なのか「壬主」なのか、自分の中で決着がついていません(w;